昨年12月、FIFA(国際サッカー連盟)のジャンニ・インファンティーノ会長が、同連盟初となる「平和賞」をドナルド・トランプに授与したとき、それは今夏の大会が何になるのかをめぐる集団的な懸念を象徴しているように思われた。
ある意味で、私たちの懸念は杞憂に終わった。結局のところ、ひとたびキックオフの笛が鳴り、試合が始まれば、試合前の批判や罵詈雑言は消え去り、世界中の人々が勝者や得点王、そしてスター選手たちに目をとめたからだ。
大会前にささやかれていた、ICE(米移民・関税執行局)の捜査官が試合を監視することへの不安や、高額なチケット、空席の目立つスタンドへの懸念は背景へと退いた。米国大統領自身でさえも表舞台から姿を消し、試合を観戦することも、公に発言することもなかった。
しかし、フォラリン・バログンのレッドカード処分をめぐる問題にトランプが介入したことで、私たちは目を覚まされた。これこそが、間違いなく史上最も物議を醸すことになる、FIFAの男子主要大会の2026年大会なのだと思い知らされたのだ。
もっとも、多くの人々は2022年のカタール大会の際にも同じことを言っていた。そこでは、人権問題や売れ残ったチケット、湾岸の小国は開催国にふさわしくないという一部の批判が、大会をめぐる議論や言説を支配していた。
私たちの世界が抱える混乱や複雑さ、そして繊細さを考えれば、ワールドカップという大会自体が、今や世界的な不安を代弁する代理手段として定着したのかもしれない。
このことは、いくつかの興味深い問いを投げかける。次回の男子ワールドカップが6カ国で開催されることも同様だ。2030年大会は、今夏の48チーム(あるいはカタールおよびそれ以前のワールドカップに出場した32チーム)ではなく、64チームで争われる可能性がある。
100周年記念となる2030年のワールドカップは、2026年大会よりも政治色が薄まるのか
イランとの米国・イスラエル対立により、イランの代表チームに入国制限が課されたことから、ソマリア人のFIFA審判員が米国への入国を拒否されたことまでを考えると、2030年大会がこれほど物議を醸すとは想像しにくいかもしれない。
しかし、2030年大会は、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ、そしてモロッコ、ポルトガル、スペインの計6カ国で開催される。これはロジスティクス上の課題をもたらすだけでなく、いくつかの厄介な対立構造を生み出すことになるだろう。
スペインとアルゼンチンによる2026年の決勝戦は、「パレスチナ対イスラエル」の縮図として特徴づけられた。スペインの左派政府の現在の政治姿勢は、ブエノスアイレス(アルゼンチン)の右派政府の政治姿勢と実に対照的だったからだ。
そして、2030年大会の円滑な開催に向けた初期の兆候は芳しくない。南米勢は、ピッチ上での荒っぽい戦術と、ピッチ外でのファンによる人種差別的な暴言の両方で非難を浴びている。
西側でも、すでに問題の火種はくすぶっている。モロッコは2030年決勝の開催について強気な主張を続け、世界最大のサッカースタジアム建設にまで踏み切っている。一方でマドリードの政府高官たちは、決勝の正当な開催地は自分たちの都市だと考えている。
モロッコは国境沿いに問題を抱えており、特に一触即発の関係にあるアルジェリアとの対立がある。また、西サハラをめぐる紛争や、その領有権の主張も続いている。
FIFAと大会に対するドナルド・トランプの影響力は続くのか
理論上、ドナルド・トランプは2030年までに退任しているはずだが、その影響力は、特にモロッコやスペインにおいて残り続ける可能性がある。
トランプはモロッコ国王と親密な関係にある。実際、米政権は最近、西サハラをモロッコ領として承認しており、一方でラバト(モロッコ)の政府はイスラエルとの関係強化を進めてきた。
一方、トランプは最近、スペインを「見込みのない国」「ひどいパートナー」と呼んだ。NATO(北大西洋条約機構)におけるスペインの役割とされるもの、そしてパレスチナへの声高な支持がその理由であり、これらの問題は最終的に、2030年決勝を開催しようとするマドリードの立候補を損ないかねない。とりわけ、トランプとインファンティーノの蜜月関係が続く場合はそうだ。
次回大会に対するトランプの潜在的な影響力にさらなる次元を加えるのが、アルゼンチンとパラグアイの右派保守指導者、すなわちそれぞれハビエル・ミレイとサンティアゴ・ペーニャとの関係である。これにより、FIFAに影響を与え、ライバルを制裁し、これらの国々のイメージと評判を浄化するために、同様の戦術が用いられる可能性がある。
ワールドカップはルビコン川を渡ったのか
1904年に設立されたFIFAの当初の使命は、各国のサッカー協会を統合し、競技規則を標準化し、中央集権的な国際サッカー選手権を創設することだった。
1930年に第1回ワールドカップが開催されたとき、その目的は、オリンピックの「アマチュア限定」という制限を回避し、プロ選手が世界王座を競い合える独立した世界規模の選手権を確立することだった。
しかしそれ以来、ワールドカップはまったく異なるものへと姿を変えてしまったように見える。今夏の大会は、巨万の富、地政学、そして権力が収束する場となったからだ。
ワールドカップが政治的であったことは過去にもある。たとえば1962年大会で、ブラジルのガリンシャが準決勝で退場処分となった際、チリのホルヘ・アレサンドリ大統領とペルーのマヌエル・プラド大統領が、彼の処分軽減を求めてFIFAに強力なロビー活動を行った。
同様に、巨額の資金もまた、FIFAや大会にとって忌むべきものではなかった。1974年にはFIFAのジョアン・アベランジェ会長がアディダスの最高経営責任者(CEO)ホルスト・ダスラーと手を組み、組織を商業的に変革させた。
しかし、2026年大会はワールドカップをかつてない領域へと突入させた。この大会は、新自由主義イデオロギー(チケットのダイナミックプライシングがそれを象徴している)を具現化し、地政学的手段(トランプのバログン介入がその好例である)となったからだ。
ワールドカップはもはや単なるサッカーの大会ではない。それは商業的な怪物であり、ディズニー化されたエンターテインメント製品であり、そして権力を蓄積し、誇示しようとする国家や政治家たちの結節点なのだ。
2030年大会も例外ではないだろう。
かつては、FIFAのサーカスが街を去ってしまえば、人々はあれほど騒いでいたことを忘れてしまうのが常だった。実際、2022年のように、カタールにおける移民労働者の人権について今夏に議論していた人がどれほどいただろうか。
しかし、今夏の大会はいつもと違って感じられる。提起された問題があまりにも深刻だったため、2030年には、世界がより不安定で複雑、かつ繊細な場所になるにつれて、これらの問題が再燃し、さらに激化するだろうと感じられるのだ。



