デザイン上の意思決定の多くは、実在しない人物を想定して行われる。その虚構は、仕事がレビューされる条件を通じて、静かに入り込む。チームは大型モニターの前で、静かな部屋に座り、すべての画面が何をするためのものかを完全に理解した状態で、新しいインターフェースを評価する。接続は速く、注意は途切れない。そのような条件下では、ほとんど何でも明快に見える。
実際にやって来る人は、まったく別の場所にいる。スマートフォンを片手で持ち、列に並び、何かを半分聞きながら操作している。作業の途中で中断され、20分前に離れた画面に戻ってきたものの、自分がどこにいたのか覚えていない。プロダクトに初めて触れ、言葉の意味がわからず、少しずつ異なる仕組みだった直近の10個のアプリで身についた習慣を持ち込んでいる。ときには不安を抱えている。自分がしようとしていることが、その人にとっては重要であり、それを作った側にとって重要である度合いとは決して同じではないからだ。
この2人の距離のあいだに、ユーザビリティ上の問題の多くが存在する。
理想化されたユーザーはどこから生まれるのか
都合のよいユーザーが、意図的に作り出されることはめったにない。リサーチは中央値へと流れていく。ペルソナは、企業が実際にサービスを提供している幅広い層ではなく、企業が到達したいと望むオーディエンスを中心に組み立てられる。ユーザビリティテストでは、チームの想定に似た人々を集め、チームが設計した経路を試してもらい、その経路が機能することを確認する。一つひとつの段階は妥当に見える。しかし、それらが合わさると、落ち着いていて、情報を持ち、一直線に進む人物像が生まれる。現実の利用は、そのどれにも当てはまらない。
これが重要なのは、デザインがテストされる条件が、そのまま最適化される条件になるからだ。大型画面でしか成立しないレイアウトは、小さな画面から訪れる大多数の人に、静かに負担を課す。専門知識を前提にしたコピーは、書いた人には流暢に読めるが、それ以外の人には壁のように感じられる。そのシステムは、作られた部屋の中ではよく機能し、実際に使われるあらゆる場所では劣って機能する。
「人々の状況に寄り添う」とは何を意味するのか
人々の状況に寄り添うことは、その人たちの条件を例外ではなく、デザインの入力要素として扱うことから始まる。その条件は物理的、認知的、感情的なものであり、同時に作用している。
物理的な文脈とは、デバイス、画面サイズ、接続環境、照明、空いている片手のことだ。デスクトップでは快適なフォームも、ベビーカー越しに持つスマートフォンでは面倒な作業になる。認知的な文脈とは、注意力と事前知識である。気が散り、不確かな状態でやって来る人には、素早く自分の位置を把握でき、自分の言葉で物事が名づけられ、システムの論理を再構築しなくても次の一歩が明らかになる構造が必要だ。感情的な文脈とは、何が懸かっているかである。医療結果を確認する人、請求に異議を申し立てる人、必要なものを申請する人は、単に閲覧している人と同じ状態にはいない。その違いを無視するデザインは、本来なら安定感を与えるべき瞬間に、無関心に感じられてしまう。
これは感傷ではない。誰が労力を負担するのかをめぐる、一連の意思決定である。理想化されたユーザーを中心にインターフェースが構築されると、その隔たりを埋める労力は、現実のユーザーに押しつけられる。目を凝らし、読み直し、戻り、もう一度試すのはその人たちだ。優れたデザインは、その作業を構造の側へ戻す。そうすれば、訪れる人全員が繰り返し負担するのではなく、一度解決できる。
そこに求められる規律
このようにデザインすることは、理想に向けてデザインするよりも難しい。理想は単一の標的だが、現実には幅があるからだ。つまり、速い接続だけでなく遅い接続、再訪する熟練者だけでなく初めて訪れる人、すべての言葉を読む人だけでなく流し読みする人に向けて、ばらつきを前提に構築するということだ。アクセシビリティを最後の監査ではなく出発条件として扱うことでもある。スクリーンリーダーを使う人やキーボードで操作する人を助ける制約は、誰にとってもより明確な構造を生むことが多い。そして、デモに引き寄せられる力に抵抗することでもある。管理された環境では完成して見えるが、現実の生活に触れた瞬間に崩れてしまう版である。
保つべき基準は、デザインが完成して見えるかどうかではない。人がシステムに歩み寄る必要なく、行こうとしていた場所にたどり着けたかどうかである。それが実現したとき、誰もデザインには気づかない。気づくのは、難しいと思っていたことが、そうではなかったという事実だ。
あらゆるプロダクトには、それが作られた対象となる人と、それを使う人がいる。この2人が近いほど、誰もデザインについて考える必要が少なくなる。作業の大半は、その距離を縮めることにある。そして、それが終わったとき、そのほとんどは見えなくなる。



