世界を変えた天才にも、若かりし頃、メンター(師)がいた。
1974年、ジョブズを「40人目の社員」として雇った米ビデオゲームメーカー、アタリの共同創業者、ノーラン・ブッシュネルだ。米ビデオゲーム業界の生みの親の一人として知られる起業家の同氏が、ジョブズの素顔を語る。
―あなたが考える優れた起業家の定義とは何ですか。
ノーラン・ブッシュネル(以下、ブッシュネル):最も重要な特質は、情熱を持てるかどうかだ。人生、そしてプロジェクトへの情熱だ。会社を興すと、何もかも自分でやらねばならなくなる。起業は、ひと筋縄ではいかない。情熱がなければ、続かない。起業より、もっと楽な仕事があるからだ。
スティーブはアタリで約3年間働いたが、並外れた情熱の持ち主で、いつも全力疾走だった。起業家になるには、長時間労働をいとわず、一生懸命働かねばならないが、まさに彼がそうだった。出社時、会社に泊まり込んで机の下で寝ているスティーブを見るたびに感心したものだ。彼は、私のことをメンター(師)だと言ってくれた。
創造性のある人は好奇心が強いものだが、スティーブも、いろいろなことに好奇心を持っていた。たとえば、彼と繰り返し議論したのが哲学だ。私は欧州の哲学者について、スティーブは仏教や儒教、神道について、熱く語り合ったことを思い出す。
―将来、ジョブズが世界を変えるような起業家になると思いましたか。
ブッシュネル:いや、当時は思わなかった。すごく有能だったが、粗野というか、あまりにも洗練されていなかった。だから、スティーブが(スティーブ・ウォズニアックと)アップルを立ち上げたとき、投資家第1号になってくれと頼まれたのだが、断ったんだ。あの時、イエスと言っていれば、アップルの全株式の3分の1を5万ドルで保有できたのに。今にして思えば、とんでもない失敗をしてしまった(笑)。
とはいえ、スティーブにとっては、ある意味で、それが功を奏したと思う。
(エンジェル投資家の)マイク・マークラが最初にアップルに投資したのだが、彼はずっとスティーブのそばにいて、幹部にふさわしい資質などをスティーブが身に付けられるよう導いたのだから。(注:マークラ氏は、アップルの2人目のCEO)
―当時のジョブズには天才の片鱗は見られなかったということですか。
ブッシュネル:さほど感じなかった。型破りの社員で、卓越した審美眼を持っていたがね。アタリでの(電子部品を接続・配線する)ハンダ付けのやり方が悪いと言って、「僕に講義させてくれ」と言ってきたこともある。細部にまでこだわる人だった。