私は約10年前、「ギグエコノミー」という言葉を使うのをやめた。不正確だったからではない。その仕事を担う人々について、その言葉が含意するものが問題だったからだ。
ギグ。企業と人間の一夜限りの関係。現れ、成果を出し、消える。この言葉は、そうした関係の取引的な性質を、単に受け入れ可能なものとしてではなく、避けられないものとして響かせた。私は代わりに「オープンタレント」という言葉を選んだ。別のあり方が可能だと信じていたからだ。世界に開かれた才能、そして才能に開かれた世界。搾取ではない。交換である。
この区別は、これまで以上に重要になろうとしている。
先週、ベンチマーク(Benchmark)の新しいゼネラルパートナーであるエベレット・ランドル(Everett Randle)がX(旧Twitter)に投稿した。彼は新たな「タスクエコノミー」に言及した。その論点は、トークンはAIがどれだけ使われているかを測るものだが、AIが実際により良くなる単位はタスクである、というものだ。ゴールドマン・サックスのバンカーのように考え、レイサム・アンド・ワトキンス(Latham & Watkins)の弁護士のように論じるAIモデルを訓練するには、本物の専門家が本物の仕事を行い、その仕事が評価される必要がある。この領域をリードするプラットフォームであるメルコア(Mercor)は、24カ月で年換算売上高を100万ドル(約1億6300万円)から20億ドル(約3270億円)に伸ばした。ヒューマン・イン・ザ・ループ(人間が介在する仕組み)市場は、すでに数年前から存在している。もはや仮説ではない。
ランドルが、これを決定的な変化だと捉えているのは正しい。ただ、私はキャリアの大半をこの問題に取り組んできた立場から、彼が十分に触れられなかった文脈を提示したい。
仕事は常に束だった
ハーバード大学AI研究所での私の研究や、サンギート・ポール・チョウダリー(Sangeet Paul Choudary)とともに行ってきた取り組み、たとえば『Harvard Business Review』に掲載された「What Executives Get Wrong About AI(経営者がAIについて誤解していること)」などで、私たちは、仕事は自然発生的な労働の単位ではないと論じてきた。仕事とは管理上の便宜である。仕事はタスクの束であり、業務の実質的な要請よりも、組織図の論理に基づいて組織が組み立てたものであることが多い。
AIは仕事を自動化するのではない。仕事を分解する。タスクを切り分け、どれが本物の人間の専門性と文脈的判断を必要とするのかを特定し、残りを自動化へと振り向ける。残るタスク、つまり元投資銀行家の直感、臨床医のパターン認識、ある条項が実質的なリスクを生むタイミングを見極める弁護士の感覚を必要とするものこそ、ランドルがタスクエコノミーと呼んでいるものだ。
これはメルコアだけの話ではない。単一のプラットフォームの話でも、労働市場だけの話でもない。仕事の進め方を根本から再構築する動きである。
すべての企業が理解すべきこと
タスクエコノミーは、いつかあなたの組織に起こる何かではない。すでに起きている。ただし、その実態をまだ地図化できていないリーダーが大半だ。
最も重要なのは2つの動きである。
- 第1に、タスクグラフを作成すること。人間の専門性の買い手として、あるいはAI能力の構築者としてタスクエコノミーに参加する前に、自社の仕事の内側に実際に何が含まれているのかを把握する必要がある。どのタスクが希少な領域判断を必要とするのか。どれが反復可能なのか。どれが、AIの誤りが実質的な結果をもたらすほど高いリスクを伴うのか。ほとんどの企業はわかっていない。あるのは職務記述書だ。それは同じものではない。
次の10年に勝つ組織は、この地図化を人事部門の副次的プロジェクトではなく、戦略的優先事項として扱う組織である。 - 第2に、最初から信頼を前提に設計すること。ここで私が異議を唱えたいのは、経済性ではなく、その枠組み方、つまり倫理である。というのも、私はこの展開を以前にも見たことがあるからだ。
私たちがすでに一度犯した過ち
ギグエコノミーが広がったとき、その約束は民主化だった。世界中の優秀な人々が機会にアクセスできるようになり、働き手には柔軟性が、企業には効率性がもたらされるというものだった。その一部は実現した。
同時に起きたこともある。働き手を交換可能な存在として扱うプラットフォーム、不透明な価格設定によってリスクを完全に個人へ転嫁する仕組み、そして企業が求めていると主張していた専門性そのものを空洞化させる報酬の底辺への競争である。
タスクエコノミーは、これらの過ちを一つ残らず、より速く、より大きな規模で繰り返す可能性がある。
ランドル自身もそれを認めている。AIモデルが人間の判断をもとに訓練され、そのモデルがその後、専門家の仕事の一部を自動化するなら、その利益を誰が共有するのか。現時点で、多くの場合の答えは「専門家ではない」である。
私が自分の取り組みに「オープンタレント」と名づけたのは、正しいモデルは働き手を投入物ではなく、真の参加者として扱うものだと信じていたからだ。透明な報酬。持ち運び可能な評判。タスクから関係へ、さらに深い関与へと進む明確な道筋。これらは抽象的な理念ではない。プラットフォームが持続的な能力を築くのか、それともそれを損なうのかを決める構造的な設計上の選択である。
タスクエコノミーで最も優れた企業は、専門性を裁定取引の対象にしない。それを尊重する。
本当の問い
私たちは、インターネット以上に重要で、しかもより速く進む仕事の再構築の始まりにいる。タスクエコノミーは、AI改善のためのサプライチェーンから、やがてはあらゆる領域でAIが提供する仕事に至るまで、その再構築の下にあるインフラ層である。
エベレット・ランドルはそれに名前を与えた。学術的な枠組みはすでに構築されている。プラットフォームは拡大している。
いま問われているのは、常に問われてきたことだ。私たちは、中心にいる人間にとって機能する形で、これを築くつもりがあるのか。
これは修辞的な問いではない。私にはまだ答えがわからない。だが、これこそがこの10年で最も重要な設計上の問いだと思う。



