私は昔から、1つの道にとどまることが得意ではなかった。正直に言うと、飽きっぽいのだ。これまで何年にもわたり、高齢者向けコミュニティの建設や、非営利のコーヒーショップの立ち上げ、映画のプロデュース、おそらく私の母しか気に入らないであろう演劇や曲の執筆、そして頭の中のアイデアから始めたビジネスの起業などを行ってきた。
人から、どうやってこれほど多くのことを同時にこなしているのかと聞かれることがある。実を言うと、私はそれらを別々のものとは捉えていない。すべては、混沌としていながらも素晴らしい1つの人生の一部であり、私はそれを「ポプリのような生き方(ポプリライフ)」と呼んでいる。
もちろん、「ポプリ」が古臭い言葉だということは分かっている。私がこの言葉を使うと、子どもたちはあきれた顔をする。だが、もう少し付き合ってほしい。
ポプリは、決して整然としたものではない。一見すると調和しないように見えるスパイスや質感、香りが混ざり合い、組み合わさることで、個々の要素が単体で存在するよりも、はるかに豊かで興味深いものが生まれるのだ。
私にとって、充実した人生とはまさにそのようなものだ。少し混沌としており、想像以上に楽しい。ポプリのような生き方に焦点を当てることは、リーダーの職場でのあり方に影響を与え、企業の成功を後押しすることにつながる。
社会は「1つのこと」を選ぶよう求める(先に言えば、選ばなくてもいい)
私たちは、成功した人生とは直線的なものであるという神話を刷り込まれてきた。22歳でキャリアを選び、その道を進み続ける。一方向にどれだけ高く登り詰めたかで成功を測る。寄り道や脇見をせず、「待てよ、自分は人生で何をしているのだろう?」と立ち止まる瞬間もないことが望ましいとされる。
私は、それは単に間違っているだけではないと思う。どこか悲しくもある。
私の知る最も魅力的な人々は、35歳であれ85歳であれ、単一のアイデンティティに閉じ込められることを拒む人たちだ。彼らは教師、起業家、アーティスト、技術者、親、活動家など、さまざまな顔を持ってきた。時にはそれらすべてを同時にこなし、時には自分自身さえ驚くような人生の節目を迎えてきた。
そして、ビジネスの世界に何十年も身を置いて学んだのは、成功する人とは、自分に探求を許す人だということだ。
毎日目にしても、決して色あせない光景
イージス・リビングでは、入居してきた高齢者たちが、自分の全盛期はもう過ぎ去ってしまったと感じている様子をよく目にする。配偶者を亡くしたのかもしれない。子どもたちは遠くに引っ越してしまった。自分を定義づけていた仕事からも引退した。彼らは「私の人生、これで終わりなのだろうか」と考えている。
そして、あるとき変化が訪れる。
かつて会計士だったある女性は、自分には「創造的な才能などまったくない」と言っていたが、気まぐれにアートクラスに参加した。それから6カ月後、彼女の水彩画は廊下に飾られ、今では他の入居者に教えている。
引退したある技術者は、高校生のロボット工学チームのメンターを務めるようになり、「教え子たち」について話すときはいつも表情を輝かせている。
生涯を企業財務に捧げたある男性は、82歳で詩を書き始めた。彼の最初の詩は、先立たれた妻について書かれたものだった。私はそれを読んで涙した。
彼らは、かつての自分を失ったわけではない。むしろ、より豊かな自分になったのだ。
これこそがポプリのような生き方の本質だ。新しい経験が、過去の経験を消し去ることはない。それは人生に新たな層や深み、質感、そして同じことを50年間続けるだけでは到底得られない豊かさを加えてくれる。
多面的であることの、少し混沌としたビジネス上の意義
多くのリーダーシップ本が教えてくれない事実がある。それは、最も優れたアイデアが同業他社や自業界から生まれることはめったにないということだ。
私が初めてイージス・リビングを立ち上げたとき、研究していたのは(正直に言って、かなり気が滅入るような場所だった)介護施設だけではなかった。ホスピタリティについても調べていた。ディズニーがどのようにして魔法を生み出しているのか。一流のレストランが、席に着く前からいかにして歓迎の気持ちを伝えるのか。そして、映画制作者として学んだストーリーテリング、雰囲気、感情の揺さぶり方など、あらゆる経験を総動員した。
自分自身の好奇心を解き放つリーダーは、他人が見落としがちな点と点をつなぎ合わせる傾向がある。彼らは実験し、探求し、古い課題に対して新しいアプローチを見出す。そして、心でリードし、冷徹な企業組織ではなく、温かみのある人間的な文化を築き上げるのだ。
年齢を重ねることは衰退ではない(本気でそう信じるのをやめよう)
私たちが社会として受け入れてしまっている最大の嘘の1つは、年齢とともに人生の幅が狭まるというものだ。人は目に見えないピークに達すると、あとは下り坂を進むだけだと思い込んでいる。
私は、90歳の人が絵画を始めるのを見てきた。入居者たちが再び恋に落ちるのも目にしてきた。70代や80代で非営利団体を立ち上げたり、TikTokのスターになったりした人々も知っている。
「ピーク」を迎えたらあとは慣性で進むだけという考え方は、ただのフィクションだ。人生のどの段階においても、自分自身を驚かせ、成長するためのエキサイティングで新しいチャンスが用意されている。
再び自分を広げ始める方法(行き詰まりを感じていても)
この記事を読みながら、「何年も同じことを繰り返していて、なんだか感覚が麻痺している」と感じているなら、ようこそ。あなたは1人ではない。
仕事とはまったく関係のないことを学ぶ
ただ楽しむためだけに何かを始めよう。陶芸教室に通う、イタリア語を勉強する、サワードウ・ブレッドの作り方を学ぶなどだ。専門家になることが目的ではない。好奇心がどのような感覚だったかを思い出し、自信を築くことが目的だ。
自分とはまったく違うタイプの人と過ごす
自分の半分の年齢(または2倍の年齢)の人と食事をしてみよう。質問を投げかけ、耳を傾けるのだ。
子どもの頃に好きだったことに立ち返る
絵を描くこと、ハイキング、文章を書くことなど、懐かしい趣味を見つけてみよう。時間を忘れて没頭できたものなら何でもいい。腕が鈍っていても、もう一度やってみるのだ。
レガシーとは、LinkedInのプロフィールではない
私の人生に影響を与えてくれた人々のことを思い浮かべるとき、彼らの履歴書(レジュメ)の内容は思い出さない。思い出すのは彼らのエネルギーだ。怖いと感じることにも挑戦しようとする姿勢。そして、人生が厳しくなっても遊び心を失わなかったあり方だ。
ポプリのような生き方は、整然としたストーリーではない。だが、それよりも素晴らしいもの、すなわち、あなたが好奇心を持ち続け、常に変化し続けた証なのだ。
あなたはまだ終わっていない
人は、自分自身の「完成形」に到達し、そこに一生とどまるために生まれてきたわけではない。進化し、新しいことに挑戦し、派手に失敗してはまた挑戦し、50歳(あるいは90歳)になっても自分自身を驚かせることが許されているのだ。
ポプリのような生き方とは、何でもこなすことや、すべての場所に顔を出すことではない。自分自身の成長や変化、そして次の章が人生最高のチャプターになるかもしれないという可能性に対して、常に心を開いておくことなのだ。
だから、もしあなたが無難な道を選び続けたり、新しいことに挑戦するには「年を取りすぎている」「忙しすぎる」「その他諸々の理由」があると言い訳したりしているなら、私は愛情を込めて、それは違うと言いたい。
最高のあなた自身は、過去にあるのではない。今もなお展開し続けている。
そして正直に言えば、それこそが楽しいところなのだ。



