1991年、大学1年生だった私は、州外のローズ・ハルマン工科大学へと向かう道中、どのような生活が待ち受けているのか見当もつかなかった。最初の微積分の授業当時、コンピュータの普及はまだ比較的初期の段階だった。課題をこなすためのコンピュータ室はあったものの、教室にノートパソコンが導入されるまでには至っていなかった。
その授業ではコンピュータを使わなかった。すべて手で計算した。私は数学の「解き方」を知っていた。難しい数学もだ。
そのため、合同期末試験の会場に入り、他の教授陣が微積分をまったく異なる方法で教えていたと知ったときの私の衝撃は、想像に難くないだろう。その試験では、少なくとも私にとっては、単に難しい数学を「解く」だけでは通用しなかった。試験自体が、コンピュータを使用することを前提に設計されていたのだ。
冷や汗と不安にまみれたその後の4時間で、数学以外のいくつかの教訓が浮き彫りになった。
数学を「解く」ことは、もはや以前と同じ意味では重要ではなかった。コンピュータは私よりも上手く、速くそれをこなせた。重要なことが変わっていたのである。
第1に、本当の問題を理解することが不可欠だった。情報は多かったが、私たちは実際に何を解こうとしていたのか。
第2に、これほど多くの数字とデータの中で、何が重要かを見極めることが不可欠になった。問題を文脈化し、枠組みを与えたうえで、シグナルとノイズを区別できるだろうか。
第3に、何が欠けているかを認識しなければならなかった。問題、方程式の設定、そして利用可能なデータの中で、そこにはないが依然として重要なものは何か。何を推論し、仮定し、検証する必要があるのか。
この状況に、聞き覚えはないだろうか。
AIの応用、そして時に見られる誤用に目を向けてほしい。これらは、私たちが今日直面しているのと同じ課題である。
問題を理解する
最近、ライフサイエンス関連の昼食会に参加し、AIの影響と未来について議論を交わした。興味深い対話だったが、最も印象的だったのは、ある成功した連続起業家(シリアルアントレプレナー)の発言だった。彼は、AIについて語るのをやめるべきだと提言したのだ。AIに焦点を当てたイベントで、彼はそう言った。そして、彼の指摘は正しかった。代わりに彼は、参加者に対して、自分たちが解決しようとしている課題や、もたらそうとしているインパクト、そしてそれが「なぜ重要なのか」を語るよう促した。
AIはすでに私たちの日々の業務に大きな影響を与えており、明日、そしてその翌日にはさらに大きな影響を及ぼす可能性が高い。しかし多くの場合、人々は自分が解決しようとしている問題や、生み出そうとしている恩恵を見失っている。
AI、LLM(大規模言語モデル)、関連ツールは、目的を達成するための強力な手段である。ライフサイエンスにおいて、その目的とは、より良い医療、より優れた意思決定、より強固な実行、そしてより良い成果であるべきだ。ツールは、恩恵と成果をより効果的、あるいは効率的に届けるための手段にすぎない。
残念なことに、AIは多くの人が語らずにはいられないバズワードになってしまった。組織はこれらのツールについて議論する必要があるが、何を解決しようとしているのか、どのように適用しているのか、なぜ重要なのかを明確にしないまま議論すべきではない。
データが増えても、単にデータが増えただけの場合がある
ライフサイエンスのエコシステム全体で、フラストレーションを抱えた見込み客との会話を、私は数えきれないほど重ねてきた。多くが同じ懸念を共有している。
彼らは、革新的なテクノロジー企業から同じ切迫したメッセージを聞かされている。「でも、もっとデータが欲しくないですか」と。
そして彼らが私に語るのは、AIソリューションを販売する企業が、自分たちがどのような課題を解決しようとしているのかを理解していないことが多いという点だ。さらに言えば、どのデータが本当にその解決に役立つのかを明確にしていないケースが、それ以上に多い。
私は数年前、シックスシグマにおいて同様の問題を目にした。大手製薬会社に勤務していたとき、また別のシックスシグマ・プロジェクトに参加させられたのはひどく苦痛だった。
しかし、プロジェクトのキックオフの際、ブラックベルト(シックスシグマの専門資格保持者)の担当者が私を驚かせた。彼は、私たちが解決しようとしている課題を調査した結果、十数種類あるツールのうち3つを使えば、プロジェクトを成功裏に実行するために必要なデータとプロセスの両方が得られると判断した、と語ったのだ。
そんなことができるとは知らなかった。
プロジェクトは、チームの集中したコミットメントとともに加速したペースで進んだ。教訓はシンプルだった。価値はすべてのツールを使うことにあるのではない。適切な問題に適切なツールを選ぶことにあるのだ。
AIについても同じことが言える。データが増えれば自動的に洞察が深まるわけではない。モデルが増えれば自動的に意思決定が良くなるわけでもない。より良い成果は、問題を理解し、適切なデータを選択し、適切なツールを適用し、その後に続く決定や行動に集中し続けることから生まれる。
バイアスは重要である
組織がデータプロセスやAI対応ツールを構築する際、アルゴリズムに「何を取り入れるか」が重要になる。そして、「何を取り入れないか」も同じくらい重要である。ある学術機関と初期のAI応用に取り組んでいたとき、1人の医師が困惑し、明らかにフラストレーションを見せた。彼は状況を明確にしようとして、私たちがどこからデータを得たのかを尋ねた。EHR(電子健康記録)システムからデータを取得していると説明すると、彼は「そのデータは不正確だ」と答えた。
その発言の後、非常に長い沈黙があった。
AIは強力だ。本当に強力である。しかし、AIは不適切なデータや破綻したプロセスを解決してはくれない。むしろ、誤った情報をあたかも正しいかのように、大きな自信とともに増幅させてしまう。
データの品質、深さ、広さ、そして代表性を理解することは、AI導入を成功させる上で不可欠だ。臨床試験と同じく、データが患者集団を十分に代表していなければ、モデルやアルゴリズムが信頼できる、または公平な洞察を提供することを期待すべきではない。
オペレーション、臨床開発、ヘルスケア情報学、事業戦略についても同じことが言える。AIは作業を加速させ、パターンを表面化させ、意思決定を支援することができるが、問題を理解し、データに疑問を投げかけ、出力を責任を持って解釈するために必要な規律に取って代わることはできない。
世にあるAIの売り込みのうち、あなたのビジネスやニーズを真に理解しているものがどれだけあるだろうか。その業務が「なぜ重要なのか」を深く理解していることを示せているものは、一体どれだけあるだろうか。
本質は変わっていない。AIは仕事のスピードや規模を変えるかもしれないが、人間の判断の必要性をなくすわけではない。組織は、真に価値のある成果に対して、冷徹なまでに集中し続けるべきである。



