政治

2026.07.24 12:30

愛国心か、ナショナリズムか? 「祖国を愛する」意味を巡って対立深まる米国

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国民意識の心理学

政治学者や社会意識の研究者は長年、国民意識は単なる政治的志向以上のものだと説いてきた。それは個人の自己認識に深く根ざしていることが多い。社会意識理論に基づく研究によれば、人々は国家への愛着を個人のアイデンティティーに取り入れており、これが、愛国心を巡る議論が純粋に知的なものではなく、感情的なものになりがちな理由を説明している。

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政治学者のデビッド・ミラーは、共有された国民意識が、社会正義や民主主義といった集団的な目標に向けて市民を動機づけるのに役立つと考えている。ミラーの研究は、国民意識が単なる象徴的なものではなく、人々が自分自身や他者に対する義務を理解する上で一助となることを示唆している。とはいえ、アイデンティティーは政治、文化、宗教、人種、地理、イデオロギーとも密接に結び付くことがある。

言い換えれば、国家への愛着は一種の社会意識として機能し、人々は祖国を自己認識に組み込んでいるのだ。したがって、国民意識が政治、宗教、人種、文化、あるいは地理的要因と絡み合うと、国家に対する批判は単なる政策上の意見の相違というよりも、自己のアイデンティティーへの挑戦として受け止められがちになる。ある人にとっては建設的な批判であっても、別の人にとっては個人的な攻撃として受け止められることがあるのだ。

愛国心がナショナリズムに変わる時

多くの学者は、愛国心とナショナリズムは重なり合う部分もあるが、重要な点で異なると主張している。哲学者イゴル・プリモラッツは、愛国心をより排他的な国家への愛着とは区別し、国家の優越性に対する攻撃的あるいは排他的な関心ではなく、「自国の繁栄に対する特別な関心」を伴うものだと論じた。英作家ジョージ・オーウェルも同様の区別をしており、愛国心は献身に根ざしているのに対し、ナショナリズムは地位、競争、権力に焦点を当てるものだという有名な言葉を残している。

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2024年に英学術誌「政治思想ジャーナル」に掲載された論文も同様に、愛国心は民主主義の理想や共同体への献身と結び付いている一方、ナショナリズムは国家に対する排他的で批判精神を欠いた愛着として捉えられることが多いとしている。この観点から見ると、愛国心は国家の向上を究極の目標としているため、内省と批判の余地を残していると言える。これとは対照的に、ナショナリズムは責任より忠誠心が重視され、批判が貢献ではなく脅威と見なされるようになった時に芽生える可能性がある。繰り返しになるが、これらは究極の形であり、多くの人は恐らく両方の要素を併せ持っているだろう。

米国では何が議論になっているのか?

愛国心とナショナリズムの対立は、政治的な意見の相違として取り上げられることが多い。しかし実際には、それより深い問題が潜んでいるのかもしれない。米国人は、愛には肯定が必要なのか、それとも誠実さが必要なのかという点を議論しているのだ。

健全な人間関係には愛情と責任の両方が不可欠であることは、一般的に認められている。配偶者や子ども、友人、家族を愛する上で、相手が完璧であるかのように振る舞う必要はないことも理解されている。しかし、同じ原則が国家にも当てはまるかどうかについては、意見が分かれている。

祖国を深く愛しながら、批判することはできるのだろうか? 祖国の欠点を認めつつ、誇りを持つことはできるのだろうか? 愛国心には感謝と批判の両方が含まれるのだろうか? こうした問いに対する米国人の答えは多様化しているように見える。その意見の相違は政治的な側面より、人々が忠誠心、帰属意識、そして愛そのものをどのように理解しているかを浮き彫りにしているのかもしれない。

forbes.com 原文

翻訳・編集=安藤清香

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