4年に一度のFIFAワールドカップの決勝戦を間近に控え、メディアを賑わせ、ソーシャルメディアの議論を過熱させているお決まりのテーマについて振り返ることができる。専門家や自称評論家たちは、審判の買収疑惑や非紳士的行為、FIFAの贔屓疑惑、薄氷を踏むようなアルゼンチンの王座防衛、そしてチームの不振の責任をどこに帰すべきかといった議論にこぞって参入している。この最後の点について、ドイツは今大会で最も明確なケーススタディを提供してくれた。
6月の最終月曜日、マサチューセッツ州フォックスボロで、ドイツのワールドカップは幕を閉じた。パラグアイを相手に1対1で引き分け、延長戦でも決着がつかず、PK戦の末に敗れ去ったのだ。その4日後、ドイツ代表監督のユリアン・ナーゲルスマンは職を去った。ドイツサッカー連盟は、彼の献身と野心に感謝し、その誠実さを称えるとともに、前リバプール監督のユルゲン・クロップとの交渉を即座に発表した。
名目的には、ナーゲルスマンは辞任したことになっている。しかし、報道によれば大会屈指の高額年俸を受け取っていたとされる契約を2年も残し、4日間にわたって交渉された末の辞任は、実質的な解雇にほかならない。この決定には、ほぼ即座に批判が集まった。常に監督ばかりが責めを負うのは不公平だ、というのがその主張だ。彼は懸命に働き、チームを気にかけていた。PKを外したのは選手たちだ。彼の後継者と目されるクロップでさえ、ドイツの問題は「ユリアン・ナーゲルスマンのせいではない」と主張した。
私の家族の一員からも、同様の主張を聞かされた。彼女は、ナーゲルスマンは「良い仕事をした」のだから、この結末は不公平だと考えていた。何をもって「良い仕事」としたのかを尋ねると、彼女の返答は明白な事実を物語っていた。彼女は単に、彼のことが好きだったのだ。人を管理した経験がある者なら誰しも、同様の感情の揺らぎを経験したことがあるだろう。そして、説明責任(アカウンタビリティ)に関する研究は、この感情がほとんどの組織において人材の処遇を決定する要因になっていることを示唆している。
リーダーが本当に報酬を得ている理由
代表監督が何を生み出しているかを考えてみてほしい。彼は自らボールを蹴ることも、シュートをセーブすることもしない。彼の成果物のすべてはチームそのものだ。誰を選出し、どのように準備させ、決戦の瞬間に11人の個人が組織として機能しているか、あるいは単なる有名選手の集まりにとどまっているか、である。これは競争環境にあるあらゆるリーダーにも当てはまる。営業部門の副社長が自ら直接成約させる案件はごくわずかであり、工場の責任者は自ら製品を組み立てるわけではない。
リーダーの報酬を正当化するのは、競合チームを凌駕するチームを構築することだ。まともな取締役会であれば、リーダーがすべての結果をコントロールできるかのように評価することはない。しかし、リーダーが責任を問われるべきなのは、リーダーにしか作り出せない環境である。すなわち、明確な目的、適材適所の配置、透明性の高いコミュニケーション、心理的安全性、規律ある実行力、そして状況の変化に適応する能力だ。マッキンゼーはかねてより、高いパフォーマンスを発揮するトップチームは、最高経営責任者(CEO)が意図的かつ継続的に構築しなければならないものであると説いている。チームは自然に形成されるものではない。機能不全に陥った指導部に関するデロイトの研究も同じ方向性を示している。すなわち、セクショナリズム(縦割り)、組織全体のエネルギーの低下、あるいは責任の上丸投げである。
記録を振り返れば、ナーゲルスマンにはそうした環境を整えるあらゆる機会が与えられていた。ドイツのメディアは、彼のスタートが2000年以降の歴代代表監督の中で最悪だったと指摘した。それでも連盟は彼を支持し続け、自国開催となった2024年の欧州選手権では、その辛抱強さが報われたかのように見えた。グループステージを首位で通過し、準々決勝で後に王者となるスペインに延長戦の末に敗れたのだ。ナーゲルスマンの契約は2028年まで延長された。しかしその後、状況は一変した。ワールドカップ前に下された、説明の不十分な混乱を極めるゴールキーパー選考は、リーダーが最もコントロールすべき要素である「明確さ(クラリティ)」を見失いつつあることを示していた。そして、あのフォックスボロでの敗戦を迎えたのだ。
「スケープゴート論」による擁護が通用しない理由
ナーゲルスマンに対する擁護論には、単なる好意よりも洗練されたものがある。クロップが理路整然と語ったその主張は、検討に値する。すなわち、敗北は構造的な問題(システムエラー)だったというものだ。ドイツは3大会連続でワールドカップの決勝トーナメント進出を逃しており、そのうち2回は前任の監督たちの下での失敗だった。有望な若手の発掘ルートは細り、連盟は政治闘争に泥沼化していた。1960年代以降、社会学者は監督の解任を「儀式的なスケープゴート化」と呼んできた。そして後任の監督が前任者より優れた成績を残すことは稀である。
これらはすべて事実である。しかし、それでも結論は変わらない。なぜなら、これらは異なる判断を混同しているからだ。説明責任(アカウンタビリティ)とは、原因帰属とは異なる。リーダーが責任を問われるのは、彼らがすべての失敗を引き起こしたからではなく、与えられた状況を結果に変換することこそがその役割だからだ。責任はどこかに帰さなければならず、さもなければ誰の責任でもなくなってしまう。アメリカ海軍の艦長は、自身が寝台で眠っている間に起きた衝突事故であっても、指揮権を奪われる。艦長が故意に船を危険にさらしたと考える者は誰もいないが、それでも処分されるのだ。アカウンタビリティとは、課題の「当事者」を明確にすることである。パフォーマンスの低下が繰り返され、それを是正する能力が衰えている場合、解任は理にかなっている。これこそが、連盟がナーゲルスマンの処遇を検討する際に直面した状況の、公平な要約である。
なぜ組織は見て見ぬふりをするのか
リーダーに説明責任を果たさせることは、原則としては単純だが、実際に実行されることは極めて稀である。ハーバード・ビジネス・レビューに掲載された分析において、リーダーシップ研究者のダレン・オーバーフィールドとロブ・カイザーは、5400人の上級管理職のうち46%が、部下に説明責任を果たさせる能力において「欠陥あり」と評価されたと報告している。「結果を出せなかったときに毅然とした態度を保つこと」は、彼らが測定したエグゼクティブの行動の中で最も軽視されているものだった。ギャラップによる最新の調査でも同様の結論に達している。リーダーシップの7つのコアコンピテンシーの中で、リーダーもマネージャーも「説明責任の確立」を最も弱い分野と評価しているのだ。また、カルチャー・パートナーズによる「職場における説明責任調査」では、回答者の82%が従業員に説明責任を持たせようとして失敗したか、あるいは最初から持たせることを避けていたことが明らかになった。
25年間にわたりエグゼクティブたちのコーチングを行ってきたが、高い基準への関心が薄いために説明責任を避けるリーダーには、滅多に出会ったことがない。多くの場合、彼らは何かを守ろうとしているのだ。人間関係、重宝している貢献者、あるいは自分自身の過去の判断などである。パフォーマンス研究者はこれを「寛大化傾向(リニエンシー・バイアス)」と呼ぶ。自分が好意を抱いている人、あるいは傷つけたくないと思う人に対する評価を、無意識に引き上げてしまう傾向のことだ。しかし、好意は、人間関係を維持しようとする広範な本能の最も目立つ一面にすぎない。リーダーは、困難な状況に同情し、過去の貢献に感謝し、耳の痛い対話を恐れる。そしてサンクコスト(埋没費用)の論理によって、これまでに投資しすぎたために軌道修正できないと思い込んでしまう。取締役会は、自らの任命が誤りであったと認めることを嫌う。私の家族がナーゲルスマンを擁護したのも、家庭規模でこの本能が働いた結果だ。彼が好きだから、良い仕事をしたに違いないと思い込んだのだ。企業組織もまた、しばしば同様の力学で動いている。
このリストを念頭に置いて、連盟の退任発表文を読んでみてほしい。そこではナーゲルスマンを責任感があり誠実であると呼び、その志を称えつつも、彼を解任した。連盟のメンバーが個人的にどう感じていたにせよ、彼らの言葉は記憶に留めるべき事実を示していた。すなわち、「敬意を払うこと」と「交代させること」は矛盾しないということだ。人間味のあるプロセスと、厳格な業績評価は共存できる。この二面性を管理できない組織は、基準よりも温情を優先してしまい、なぜ結果が出ないのかと頭を抱えることになる。
このパターンはスポーツ界に限ったことではない。2017年にフォードの取締役会がマーク・フィールズを更迭した際、報道の焦点は株価そのものよりも、共通のミッションのもとに会社を団結させ、重要な戦略的選択を行う彼の能力に対する信頼の喪失に当てられていた。彼の前任者であるアラン・ムラーリーは、その逆を示していた。すなわち、組織の一体化、率直な業務レビュー、そして問題を隠蔽するのではなく表面化させるよう訓練された指導部である。
リーダーを留任させるか交代させるかを決める「5つの問い」
リーダー、あるいはあなたの部下にあたる人物に、さらなる時間や追加のリソースを与えるべきかを決定する前に、次の5つの質問を投げかけてみてほしい。
1. 目指すべき成果と妥協できない基準は明確だったか。
2. そのリーダーには、十分な権限、人材、時間、そしてリソースが与えられていたか。
3. チームは向上しているか、現状維持にとどまっているか、それとも明らかに悪化しているか。
4. そのリーダーは悪い知らせを早期に共有し、賢明に軌道修正を行ったか。
5. もし私たちがこの人物を個人的に好いておらず、賞賛しておらず、責任を感じていなかったとしても、同じ決定を下すだろうか。
5番目の問いこそ、人間関係を維持しようとするあなたの本能をあぶり出す場所だ。評価を下す際には共感力を大いに活用すべきだが、それが正しい判断を下す目を曇らせてはならない。
結論
ここで述べているのは、ナーゲルスマンという人間に対する評決ではない。人柄が良く、献身的で、心から才能に溢れた人物であっても、雇われ、報酬を支払われている任務において成果を出せないことはある。人材管理とリーダーシップにおける組織の基準は、説明責任という規律に反映される。ほとんどの組織は「好感度テスト」で失敗し、周囲はそれを鋭く見抜いている。誰を留任させるかというあらゆる決定は、あなたの組織において「結果」が何を意味するのかを周囲に物語る。愛想の良い従業員が不振に陥ったときでも基準が厳格に保たれるのか、それとも管理職のお気に入りであればパフォーマンスの妥協が許されるのかを、従業員は見極めているのだ。
人間は、自分が許容されていると感じるレベルに合わせて自らの努力を調整するものだ。したがって、成果の上がらないメンバーを留任させることの代償が、その1つのポジション内にとどまることは滅多にない。解決策は極めてシンプルだ。リーダーが担保すべき環境を明確にし、十分な猶予期間を設けること。それでも不振が続く場合は、先ほどの5つの質問を自問し、人道的に、かつ遅滞なく決断を実行に移すことである。
去りゆく監督を擁護する言葉は、常に同じだ。「彼は努力した」「チームを気にかけていた」「私たちは彼が好きだった」。これらはすべて真実かもしれないが、ドイツサッカー連盟が問うべきだった質問、フォードの取締役会が問うた質問、あるいはあなたが自身を含むあらゆるリーダーに問うべき質問への答えにはならない。リーダーの任務とは、勝負どころで極めて高いレベルのパフォーマンスを発揮するチームを構築することだ。それが達成できないのであれば、彼らは一体何のためにそこにいるのだろうか。



