かつて長崎の出島が、鎖国下の日本で唯一世界に開かれた窓だったように。本体組織から少し離れた場所で、新しい価値を生み出す組織を「出島組織」と呼ぶ。そうした出島組織の知恵や経験を交換する場として、長崎で「出島組織サミット」が2021年から開催されている。
この連載では2024年2月に発行した書籍『出島組織というやり方ーはみ出して新しい価値を生むー』に収録しきれなかった、日本各地の面白い出島組織の実践者たちに話を聞いていく。
今回の舞台は、大分県宇佐市。麦焼酎「いいちこ」で知られる三和酒類だ。
下町のナポレオンのキャッチコピーで親しまれる「いいちこ」を知らない人は少ないと思うが、この会社には焼酎づくりの副産物である「焼酎粕」からGABAなどを製造する食品事業に取り組む出島が存在することをご存知だろうか。その成長率は、2023年時点で926%(2013年比)。
なぜそんなに伸びているのか? その秘密に迫りたい。
聞き手は、出島組織サミット発起人のひとり鳥巣智行。答えてくれたのは、本体の総務企画部門から食品事業へ移り、現在は常勤顧問を務める渡邉さんと、食品事業の現場を担当する技術営業担当の新谷さんだ。「いいちこ」のソーダ割りでも飲みながら、出島組織物語をお楽しみください。
「三和酒造」ではなく「三和酒類」。挑戦のDNAは社名にも
━━三和酒類さんの成り立ちを教えてもらえますか。
渡邉修(三和酒類 常勤顧問):三和酒類が誕生したのが1958年です。当時、大分県の宇佐で別々に酒づくりをやっていた造り酒屋が手を組んでやることになった。スタートは3社で、翌年もう1社が加わって4社になりました。
いまでこそ企業の合併や統合は当たり前ですが、日本の歴史の中でもかなり早い段階でそれをやっているんじゃないかと思います。
━━酒蔵の合併って、簡単ではなさそうですよね。
渡邉:そうなんです。造り酒屋の社長は、一国一城の主です。よそと一緒になろうなんて考える経営者は少なかったはず。だからこそ「和」を大切にしないとやっていけない。株も責任も権利も4分の1ずつ。すべて合議制で、一社でも反対することはやらない。そこからこの会社は始まっているんですね。
━━三和酒類の「和」にはそういった成り立ちが関係してたんですね。
渡邉:そうですね。そしてもうひとつ、社名に関していうと……うち、よく「三和酒造」と間違えられるんですよ。でも「三和酒類」なんです。
━━たしかに。どんな違いがあるんですか?
渡邉:創業者に聞いた話ですが、日本酒づくりの会社なら「酒造」でいいんです。社名を「酒類」にしたのは、これからいろんな酒造免許を取得して、いろんな酒に挑戦しようという気持ちがあったから。それで「三和酒類」と名付けたそうです。
━━その時点で、新しいことにチャレンジしていくマインドがあったんですね。
渡邉:あったと思います。ただ、1958年の時点では、一緒になったといっても瓶詰めを一緒にやるだけで、ブランドは4社が持ったままでした。銘柄が4つある状態。それが1972年に4つの蔵がそれぞれ国から授かった清酒の免許を、全部返上したんです。
━━えっ、返しちゃったんですか。
渡邉:返しました。そして三和酒類としてひとつの免許をもらい直した。そのときに焼酎やワインといった他の酒造免許も取得した。これがなかったら、「いいちこ」は誕生していなかったかもしれません。
━━日本酒しかつくれなかった会社が、酒造免許をいったん手放して、いろんな酒がつくれる会社に生まれ変わった。
渡邉:ワイン事業は、実は焼酎事業より先に始まったんですよ。安心院(あじむ)という葡萄の街があって、農家の方が育てた葡萄でワインをつくっていた。そういう遺伝子があるから、後の1996年にはリキュールやブランデーの免許も取得にいくし、直近では発泡酒の免許も取得しました。いろんな酒に挑戦しようという遺伝子は、三和酒類ができたときからずっとあるんです。
そもそも清酒一本ではそんなに業績が良くなかったので、生き残りをかけて、みかん農園をやったり、いろんなことをやっていた。挑戦心というより、必死だったんだと思いますね。



