もうすぐ成人を迎えるわが子に成功と充実した人生を送ってほしいと願うなら、この夏はAIと教育をめぐる議論を追いかけたり、子どもに追いかけさせたりするのに時間を費やしてはならない。夏の時間は、子どもと世界について語り合うことに使うべきだ。これは、6月にデンマークのコペンハーゲンでグローバル団体UNLEASHによって選抜・招集された300人の若き才能たちと過ごしたあとに私が至った結論である。
メディアが「子どもたちに何を教えるべきか」「教育制度はどう設計されるべきか」「企業は将来誰を雇うのか」といった問いを盛んに取り上げるなか、未来を形づくろうと奔走する若者たちは、何をどう学ぶか、その過程で自分がどうなるかには関心を向けていない。彼らが焦点を当てているのは、既存の知識や解決策では手に負えず、それゆえ自らの学びと成長を要求する厄介な問題(wicked problems)である。
仕事のためではなく、問題を解くために学ぶ
ニューヨーク連邦準備銀行の報告書により、2024年における哲学専攻の失業率がコンピューターサイエンス専攻よりも1.9%低かったことが明らかになって以来、私の専門分野(哲学)が異例の注目を集めている。マネーサイト『Moneywise』が指摘するように、哲学はこれまで「仕事のためではなく、趣味で学ぶもの」という、役に立たない学位としての評判があった。そのため、近年の『ニューヨーク・タイムズ』の「哲学専攻の逆襲」や、『WIRED』の「AI分野で職を得たいならカントを読め」といった見出しは、多くの人々にとって驚きとなった。
だが、25年にわたる大学での薄給の研究と執筆活動を経てきた身からすれば、大手テック企業の高給ポストが魅力的に映るのは理解できるにせよ、これらの記事が本質を見落としていることは明白だ。コンピューターサイエンスを学ぼうが哲学を学ぼうが、仕事を得るために学ぶのであればAI時代に成功することはない。楽しみのため(だけ)に学ぶのであっても、成功することはない。AI時代に成功し、繁栄する唯一の道は、人間の思考を突き動かす問題について学ぶために、そして学び続けるために、学ぶことである。
職業より目的が重要になるとき
未来を形づくろうと奔走する若者たちが、何をどう学ぶか、その過程で自分がどうなるかに焦点を当てないのは、彼らが答えようとしている問いが「何を」「どう」「誰が」に関するものではないからだ。少なくとも第一義的にはそうではない。世界中から集ったUNLEASHの才能たちを突き動かしているのは、「なぜ」という問いだ。なぜ何かが変わらなければならないのか。なぜ既存の解決策では不十分なのか。なぜ自分たちが世界を、ひいては自分自身を新しい地平へと導く必要があるのか。
一例を挙げよう。私が知っているある若い女性は、「何を」決めるはるか前に「なぜ」を決めていた。祖母の入院生活を目の当たりにした彼女は、看護師になることを選んだのではない。人生の最期を迎える高齢者が、必要なケアを受けられていないという課題の解決を助けることを選んだのだ。彼女はヘルスケア分野でのキャリアを築くために看護師になったのではない。自分の祖母のような人々が、より良く、より尊厳のある最期を迎えられるよう支援するためにその道を選んだのである。
AIは「すること」を模倣できても、「なぜするのか」は模倣できない
UNLEASHの才能たちが持続可能な開発目標(SDGs)達成に貢献するアイデアを語り合うのを聞いていて、私は彼らが自分の職業や肩書、キャリアを、私の知るあの若い女性と同じくらい気にかけていないことに気づいた。彼らが気にかけているのは、自分たちが解決の一端を担っている問題である。そしてその姿勢によって、彼らはAIをめぐる議論が警告する脅威から、賢明にも自らを守っているのだ。
AIは子どもたちに仕事を残してくれるのだろうか。AIを搭載した家庭教師が個別の学習プログラムを提供できるようになったとき、教師はまだ必要なのだろうか。AIソフトウェア関連分野の修士課程修了者数は、2023年から2024年にかけて見られたように毎年17%のペースで増加し続けるのだろうか、それとも新たな、あるいはかつての専門分野が人気を集めるようになるのだろうか。
これらは、「何を」「どのように」行い、「誰に」雇われるかという点に焦点を当てている限りにおいてのみ意味を持つ問いである。私たちが一歩引いて、他ならぬそのことを行うよう「なぜ」求められているのかを問いかける瞬間、AIの脅威は力を失う。なぜか。AIは私たちの行動(何を)を模倣することはできても、動機(なぜ)を模倣することはできないからだ。AIには、不必要な苦しみを味わった祖母はいない。実のところ、AIは苦しみを一切経験せず、人間が新たな解決策を考案し、学び、成長するための新たな方法を見いだす原動力となるような課題を抱えることもない。
専門家(エキスパート)ではなく、探検家(エクスペディショニスト)であれ
だからこそ、コペンハーゲンで開催された「UNLEASH Europe」のイベントで、光栄にもクロージング基調講演を行う機会を得た際、私は彼らにAIと教育に関する議論ではなく、彼らの成功の秘訣について改めて語りかけた。
「良い知らせは」と私は言った。「皆さんが今と同じように優れた成果を上げ、充実感を得続けるために必要なことは、たった1つしかないということ。悪い知らせは、それが周囲が期待することと正反対であるということだ。皆さんのように才能豊かで成功していると、人々はすぐに答えを求めて皆さんに頼るようになる。専門家のように思考し行動することを期待されるようになり、注意を怠れば、まさにその通りになってしまうだろう」
専門家であることと探検家であることの違いは、すでに知っていることを表現し説明することと、まだ知らないことを探求し実験することの違いである。
それはまた、AIが実行できる「何」「どのように」「誰のために」と、私たち人間が学び、成長し、物事を改善する「なぜ」との違いでもある。だからこそ、私はUNLEASHの才能たちに贈ったのと同じメッセージを、もうすぐ大人になる子どもたちに伝えることを勧めたい。専門家ではなく、探検家であれ、と。



