2026.07.27 14:15

秀吉・三木城攻めの鍵 山自体が軍事拠点という「山城」登山の魅力

滝山城に至る登山道

主郭から大阪湾を望む
主郭から大阪湾を望む

山頂近くの広場からは、いまでも大阪湾から生駒の山々まで見渡せる。おそらく饗応の間として主君をもてなしたのであろう。

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(左)建物の基礎であった礎石(右)建物の屋根瓦とみられる破片
(左)建物の基礎であった礎石(右)建物の屋根瓦とみられる破片

山頂付近には人の手で整地され平坦になった地形がある。大きな建物の基礎であったであろう礎石や屋根瓦の破片が残っているので、ここに軍事拠点の中枢にあたる「主郭」があったと考えられている。

この主郭に続く登山道は、戦国時代には兵や物資が移動していたと考えられる当時の輸送路「兵站線(へいたんせん)」とほぼ一致する。

敵軍の侵入を阻む「虎口(こぐち)」
敵軍の侵入を阻む「虎口(こぐち)」

ここは、仮に敵がこの城を攻略しようと思うと必ず通ることになる。なので、現在は登山道なのだが、敵兵の侵入を防ぐ空堀「堀切(ほりきり)」や道幅を狭くしてほぼ直角に曲がる「虎口(こぐち)」が地形からうかがえる。

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敵を上部から攻撃できる「堀切(ほりきり)」
敵を上部から攻撃できる「堀切(ほりきり)」

さらに「曲輪(くるわ)」と呼ばれる尾根や斜面を造成した平坦地が、登山道の斜め上にいくつも存在する。なので、この登山道を歩くと、死角から弓矢や投石で攻撃されそうな気分も味わえる。

山全体が地形を利用した防御拠点に

さらに言うと、「山城」と聞けば、多くの人たちは山頂付近だけが要塞になっていると考えるだろう。ところがそうではない。山全体の高低差と尾根や谷といった地形そのものを利用した防御拠点となっているのだ。

城郭の背後にある「二重堀切」
城郭の背後にある「二重堀切」

例えば、「滝山城」では主郭の北側にある背後から進入するルートには、「二重堀切」といわれる「W」字型に空堀をつくって敵の襲来を厳重に防いでいる。

滝山城を含めた神戸の山城は、織田信長の家臣である羽柴秀吉が中国地方の毛利氏を討伐する「西国攻め」で大きな役割を果たした。

現在の神戸市西部から加古川市に至る東播磨を治めていた三木城の別所長治は、早くから信長に味方していた。ところが、1578年(天正6年)に織田方に反旗を翻し毛利方へと寝返る。

すると信長の命を受けた秀吉らが東播磨へ侵攻。「三木の干殺し(ひごろし)」と呼ばれる壮絶な兵糧攻めの末、1580年に長治は切腹、三木城は開城を余儀なくされた。
 
このときに、毛利方が三木城に物資を運ぼうとする補給路「兵站線」をめぐる攻防で、山城が鍵を握ったと言われている。

織田と敵対していた毛利方や雑賀(さいか)衆の水軍が運んできた食糧などの物資は揚陸されると、いくつかの山城を経由して三木城に運び込まれていたからだ。織田方に山城を奪われていくと、自動的に「兵站線」が消滅してしまうということになる。

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文・写真=多名部 重則

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