Forbes JAPAN編集長編著『Forbes JAPANが選ぶ 未来をひらく言葉』から、Forbesが過去取材したビジネスリーダーたちの名言を紹介する。
正解のない時代に「未来をひらく」仕事をなし得た彼ら・彼女たちは、自らの行動からどんな言葉を紡ぎ、何を導き出したのか。「名言こそ未来に伝えるべき共有物だ」をコンセプトに、リーダーたちの言葉をひもとき、われわれの「今日の行動」に転換すべく読み解くコラム。第8回の今回は、ヤーマン代表取締役社長 山﨑貴三代の言葉を紹介する。
松明をもって道を切り拓け
コロナ禍で誰もいなくなった銀座の目抜き通りを見ながらのこのセリフは、腹の括り方が違う。ヤーマンは小売店に美顔器などを卸すほか、商業施設に9店舗の販売店を展開しているため、コロナ禍では営業自粛の影響は大きく、2021年4月期は店舗販売部門の売り上げが前年割れした。しかし、巣ごもり消費で、ECなど直販部門の売り上げは95億円を超え、前年同期比2・4倍に急拡大。店舗の売り上げを抜いたのだ。逆風に動じない姿勢は、「自分で自分の道を切り拓く」という彼女の一貫した生き方からくるものだろう。
「ヤーマンの創業者は男女差をつける人ではなかったので、何でもやらせてもらいました」。アメリカ出張中に見つけた体脂肪計をヒントに、一般家庭用の美容機器への道を切り拓くことになる。38歳という若さで社長に就任したが、「社長になる前から自分で仕事をつくっていたから、肩書がついても変わらなかった」と言う。2009年に株式市場に上場した時、「市場シェア何%を目指すのか」と質問されたが、彼女はこう一蹴した。「シェアなんて発想はありません」と。今でこそ家電量販店にビューティ家電の売り場があるが、「何もないところから市場をつくった」という自負があるからだ。彼女が尊敬する経営者は、本田技研工業の藤澤武夫で、藤澤のこの名言こそ、山﨑さんを表現する最適の言葉だろう。それは、「松明は自分の手でもて」だ。
山﨑貴三代(やまざき・きみよ)◎ヤーマン代表取締役社長。1961年、徳島県生まれ。お茶の水女子大学卒業。83年、ヤーマンに入社。同社は78年創業の精密電子機器メーカーだったが、80年代に業務用レーザー脱毛器を開発。85年に光美容器事業を展開し、美容機器がメインに。取締役マーケティングマネージャ一、取締役海外業務部長を経て、99年に代表取締役社長に就任し四半世紀以上、社長を務める。美容機器の新市場を切り拓いた。



