自分の成長課題を言語化する苦闘こそが、なぜ成長なのか
ニキルは、自分の成長課題を説明できなかった。
私たちはビデオ通話で、私が手がけるあらゆるコーチング支援の軸となる宿題を確認していた。私はクライアントの関係者を十数人ほどインタビューし、聞き取った内容をフィードバック報告書にまとめる。その後、クライアントは3つのリーダーシップ開発課題を書く。各課題は、一人称で書かれた問題提起の見出しと、簡潔な補足説明で構成される。ニキルが私に送ってきた文書は完璧だった。構成は整い、文章には自信があり、句読点の乱れもない。
そこで私は、1つ目について説明してほしいと頼んだ。彼は言葉に詰まった。遠回しに話し、視線を下に落とし、自分の文書を確認するように明らかに読んでいた。最後に彼は打ち明けた。AIが書いたのだ。すべてを。彼はフィードバック報告書を入力し、返ってきた内容を受け入れ、そのままその週の仕事に戻った。
私が最も気がかりだったのは、その後に彼の予定表に入っていたことだ。私のプロセスでは、それらの成長課題はチェックポイント会議で役員の上司に提示される。目的は、成長に向けた議題について認識を合わせ、上司に心理的にも関与してもらうことにある。ニキルは、自分のものだとほとんど認識できていない文書を、数日後に提示しようとしていた。
ビジネスにおける最も皮肉な委任
ここで何が間違っていたのかを明確にしておきたい。問題はテクノロジーではなかった。
私自身、AIをかなり使っている。関係者へのインタビューの要約、セッションメモの下書き、契約内容の把握、難題に対する思考の相手として役立っている。私が書いたフィードバック報告書をもとに、クライアントの成長課題の草案をAIに生成させることさえある。そしてたいていの場合、AIはよい仕事をする。ただし私はその草案を、考えるための材料、比較対象として位置づけており、決して解答集とは見なさない。ニキルと私は、同じ作業に同じツールを使った。違いは、私にとってそれが対話の出発点であり、彼にとっては代替物だったことだ。
自分の成長課題を書く目的は、文書を作ることではない。目的は、向き合わざるを得ない状況をつくることだ。十数人の関係者から寄せられた耳の痛いフィードバックを受け止め、それを本当に自分のものとして引き受けられる一人称の文章へと格闘しながら落とし込む。「私は〜しがちだ」「私のパターンは〜だ」。文書は、いわばその証拠にすぎない。
書く作業を外部に委ねれば、その向き合いを飛ばしてしまう。この宿題は自己認識を育てるために存在する。それを手放すことは、この演習の目的そのものを損なう。
苦闘そのものが成果物だった
クライアントが自分で作業をしたかどうかは、私にはわかる。なぜなら、最初の草案はたいてい少しひどいものだからだ。文法の話ではない。自分で引き受ける言葉が欠けており、その代わりに、言い逃れ、正当化、そして状況を少しだけ静かに責める姿勢が見える。まるで悲嘆の初期段階のように読める。実際、おおよそそういうものだからだ。
それは健全なことだ。防御的な最初の草案は、診断上の宝の山である。クライアントが自分へのフィードバックをどこで言い訳しているのかを正確に示してくれる。そして、それを一緒に、何度も反復しながら乗り越えていくことこそが成長なのだ。多くのクライアントは、上司に自信を持って示せるものにたどり着くまでに、2〜4回の草案を必要とする。
AIで磨かれた最初の草案は、その苦闘を飛ばし、証拠を隠してしまう。本来ならクライアント自身のぎこちない文章に表れていたはずの言い逃れが、ページ上に出てこない。つまり、そこに取り組むことができなくなる。
私は同じ力学を別の角度からも見ている。苦戦しているクライアントにAIが生成した草案を共有すると、多くは意図どおりに受け止める。一方で、自分へのフィードバックを深く否認している一部の人は、AIは完全に間違っていると断言する。たいていの場合、AIは間違っていない。AIは私が書いた同じフィードバック報告書を読み、パターンを忠実に要約している。十数人の関係者が一貫して示した内容について、機械が中立的にまとめた要約に役員が異議を唱えるとき、私にはまだどれほど先が長いかがよくわかる。
研究も、私がコーチングの場で目にしていることに追いつき始めている。脳活動を追跡したMITメディアラボの予備的研究では、AIの支援を受けて文章を書いた人は認知的関与が最も弱く、ほとんどの人が自分がたった今「書いた」内容を思い出せなかったことが示された。研究者たちは、この蓄積する影響を「認知的負債」と呼んだ。マイクロソフトとカーネギーメロン大学の研究者による、319人のナレッジワーカーを対象にした2025年の研究では、生成AIに対する信頼度が高いと報告した人ほど、その出力に対して批判的思考をあまり働かせていなかった。これらはサンプル数の小さい初期段階の研究であるため、私は慎重に受け止めている。だが、その知見を、役員が行う最も重要な文章作成の1つ、つまり自分が改善すべき行動について書く行為に当てはめれば、リスクはきわめて明白だ。
指摘しておくべきニュアンスが1つある。私のクライアントの中には、第2言語、第3言語で仕事をする優秀な技術系リーダーがいる。彼らにとってAIは怠惰ではなく、アクセス手段である。その魅力は理解できる。ただ、最初の草案こそ支援を受けるには最も悪い場所だとだけ言っておきたい。なぜなら、成長は最初の草案に宿るからである。
ゴーストライターではなく、助言者として
答えはAIの禁止だとは思わない。重要なのは、作業のどの部分を委ねてよいのかを知ることだ。私はクライアントに対して、次のような手順を勧めている。
- まずは不格好に書く。AIが何かに触れる前に、自分の言葉で書く。言い逃れも含めてだ。
- その後で、鋭い同僚としてAIを招き入れる。ほぼ最終版に近いものを引き締めさせ、悪魔の代弁者をさせ、自分が見落としていることを尋ねさせる。
- 最後に、ニキルをつかまえたテストで締めくくる。文書をしまい、各成長課題について、上司に廊下で尋ねられたかのように、記憶を頼りに声に出して説明する。
最後のステップこそがすべてである。なぜなら、磨かれていることが罪だったわけではないからだ。ニキルが最終的に私のもとに持ってきた版も、なお洗練されていたし、その過程でAIを使っていた可能性も十分にある。違いは、彼が各行の本当の意味を正確に理解していたことだった。チェックポイント会議で、ニキルは上司と、自分の成長を支えてもらうために選んだシニアの同僚に対し、それぞれの課題を説明し、彼らの率直なフィードバックを大きく動揺することなく受け止めた。私は進行役を務めたが、その場を担ったのは彼だった。会議が終わる前に、その同僚はニキルに、こうした会話においてこれほど自我を持ち込まなかったことに感銘を受けたと伝えた。取り組みは終わっていないし、実際に終わることはない。だが今や、それは本当に彼自身のものになっている。
今後10年で最も速く成長する役員は、最もよく書かれた成長計画を持つ人ではない。委任できない作業を続ける人だ。価値あるフィードバックと真剣に格闘し、それが自分自身の言葉による真実になるまで取り組み続ける人である。宿題は、最初から文書ではなかった。
今週の実践課題は、今年受けた厳しいフィードバックを1つ取り上げ、それについて3文書くことだ。一人称で、AIは使わず、磨き上げもしない。そのうえで、声に出して読む。そのときに感じる揺らぎこそが宿題である。それを外部に委ねてはならない。



