K-1元3階級制覇王者・武尊(たける)のマネージャーから、K-1運営会社の経営者へ──。格闘技の世界で奮闘する女性社長が、大いなる野望を語る(#前編)。
K-1という素晴らしき世界
まわりの女の子たちがアイドルにキャーキャー言うなか、野球少女だった私は千葉から埼玉県所沢市まで2時間半がかりで通い、西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)を応援していました。将来は教師になるつもりで教員免許を取得したものの、「プロ野球に関わる仕事がしたい」と野球愛をあきらめきれず、スポーツ新聞社に入社したんです。ところが私の担当は野球ではなく、格闘技でした。
〈1993年に日本で「K-1」が旗揚げされた。「空手」「キックボクシング」「拳法」など、立ち技系格闘技の多くは頭文字が「K」である競技が多い。空手やキックボクシング、ムエタイ、テコンドーの猛者たちがリングで戦う異種格闘技戦は熱狂的な支持を集めた。
1997年からは、寝技や投げ技、関節技も含めた総合格闘技「PRIDE」も始まる。両者は地上波テレビのゴールデンタイムで生放送され、驚異的な視聴率を獲得するキラーコンテンツとなる。2003年の大晦日には、日本テレビ、TBS、フジテレビがまったく同じ時間帯に格闘技のイベントを中継する異常事態も発生した。〉
我が家の家族はテレビでプロレスや格闘技を観る習慣がなかったため、スポーツ新聞社に入社するまでK-1を観たことはありませんでした。取材で初めてK-1を生観戦した瞬間、「なんて素敵な世界なんだ!」とすっかり魅了されてしまったんです。
「なんとかして格闘技の世界で働きたいな」と思っていた26歳のときに、PRIDEの運営会社(ドリームステージエンターテインメント)が正社員の社会人採用を募集していることを知りました。
当時のPRIDEはものすごい人気です。「何か人と違うことをやらないと受かるわけがない」と思ったので、マーケティングの真似事を準備しました。若い子たちへのPRIDEの認知度、そして今後目指すべき未来なんかを勝手にまとめて、1次面接のときにウワーッ!とプレゼンしたんです。きっと熱意を買ってもらえたのでしょう、3次面接まである予定のところ、一発で採用が決まりました。
こうしてエメリヤーエンコ・ヒョードルやアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ミルコ・クロコップ、吉田秀彦さんや小川直也さん、藤田和之さんらスター選手がひしめく格闘技の世界に飛びこんだんです。



