サッカー米国代表(チームUSA)のワールドカップ(W杯)が、またしても早くに幕を閉じた。
100年近くもの間、米国は最高でも「その他大勢」の一国にすぎず、大半は不振に終わってきた。しかし、もしMLB(メジャーリーグ・ベースボール)の偉大なアスリートたちが、野球のダイヤモンドではなくサッカーのピッチで育っていたとしたら、世界最大の舞台におけるこの国の歴史はどうなっていただろうか。
タイ・カッブ、ミッキー・マントル、マイク・トラウト、ジャッキー・ロビンソン、リッキー・ヘンダーソンといったMLBの名選手たちが、ペレやリオネル・メッシ、キリアン・エムバペ、フランツ・ベッケンバウアー、ディエゴ・マラドーナのように崇められていたとしても、何ら不思議ではない。
確かに、その米国人の名選手たちは、サッカー界のアイコンたちのスピードと同等か、おそらくそれを上回っていただろう。鋭く変化する野球のボールを打つために必要な傑出した手と目の連動性(ハンドアイ・コーディネーション)を養う代わりに、彼らはサッカーボールを鋭く変化させる足元の技術を習得できていたはずだ。
もし米国のアスリートたちが、すべての時間をサッカーに費やし、ハイレベルな指導を受けていたら、米国人サッカー選手たちが何を成し遂げていたかは計り知れない。野球やアメリカンフットボール、バスケットボールに代わり、サッカーこそがアメリカン・ドリームになっていただろう。
米国サッカー史上最大の勝利である、ブラジルでの1950年W杯における強豪イングランドからのまさかの1対0の勝利は、最高に才能あふれるアスリートたちによってもたらされたものではなかった。決勝ゴールを決めたのは、コロンビア大学の学費を稼ぐために皿洗いをしていたハイチ出身のジョー・ゲイジェンズだった。ゴールキーパーのフランク・ボルギは霊柩車の運転手、チャーリー・コロンボは食肉解体業者、ハリー・キーオは郵便配達員、チームキャプテンのウォルター・バールは体育教師だった。
米国サッカーは進化を遂げつつあるが、ファンにしてみればその歩みはカタツムリのようだ。今年の代表チームにはアレックス・フリーマンが名を連ねているが、彼の父親アントニオはグリーンベイ・パッカーズでスーパーボウル制覇を経験している。クリスチャン・プリシッチの父マークは1990年代のインドアサッカーのスターだった。ジオ・レイナの父クラウディオは米国代表として112試合に出場した。ティム・ウェアの父ジョージは、世界的強豪のACミランでプレーし、サッカー引退後のキャリアとして、リベリア大統領という輝かしい職に就いた。
MLBの才能で構成するサッカー米国代表ラインナップ
アスリート人生のすべてにおいて野球ではなくサッカーをプレーしたMLB選手だけで構成された、歴代のサッカー米国代表のロースターを想像してみてほしい。そこには過去120年間にわたり、スピード、俊敏性、そしてパワーを兼ね備えた選手たちが名を連ねることになる。
チームUSAは、俊足で力強いフォワード、前線に上がって得点することも守備に戻ることもできる、威厳に満ちて変幻自在なミッドフィルダー、両サイドにスピードと根性を兼ね備えたブルドッグのようなディフェンダー、そして背が高く頑丈なセンターバックを擁することになるだろう。
筆者が想像する伝説的なメンバーと、彼らのスキルが米国の「国民的娯楽(野球)」から「世界のゲーム(サッカー)」へどのように転換されるかを以下に紹介しよう。
フォワード(FW)
左ウイングフォワード:ケン・グリフィー・ジュニア(控え:トリス・スピーカー)。ともに左投げ左打ちの圧倒的な選手で、非常に足が速かった。彼らの運動能力からすれば、特に左足を巧みに使えた可能性が高い。そのスピードでディフェンダーを置き去りにし、左から右へとゴール前にクロスを供給できたはずだ。また、ともにリーダーシップを備え、守備のために泥臭く体を張ることも厭わなかった。
左インサイドフォワード:ミッキー・マントル(控え:フランキー・フリッシュ)。ともに俊足のスイッチヒッターであったため、両足を器用にこなした可能性が高い。マントルは中央で、まさに2026年W杯におけるノルウェー代表のアーリング・ハーランドのような強靭な存在感を示すだろう。フリッシュは、1978年の準々決勝イングランド戦で、巧みに(そして反則で)左手を使ってゴールを押し込んだアルゼンチンの伝説マラドーナのように、もう少し好戦的な選手になるだろう。
右インサイドフォワード:ティム・レインズ(控え:オジー・スミス)。こちらもともにスイッチヒッターだ。レインズは素晴らしいスピードを誇っただけでなく、非常に頑丈な体格をしていたため「ロック」の愛称で親しまれた。名遊撃手であった「オズの魔法使い」ことスミスは、フィールド上でペレのような俊敏性を発揮しただろう。
右ウイングフォワード:ジャッキー・ロビンソン(控え:ビンス・コールマン)。右投げのロビンソンは足が速く、がっしりとした体格をしていた。野球の人種障壁を破る前、彼はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でオールアメリカンのランニングバックとして活躍していた。コールマンはさらに速かった。スイッチヒッターであった彼は、右打席の1879打数で20本塁打、左打席の3527打数で8本塁打という数字が示すように、右利き(右足優位)だった。
ミッドフィルダー(MF)
左ミッドフィルダー:ケニー・ロフトン(控え:リッチー・アシュバーン)。ともに信じられないほど速く、粘り強く、左利き優位だった。ロフトンなら、フリーキックの際に前方へ忍び込み、ヘディングでゴールを決めるのに十分な高さまで跳躍できたはずだ。2人とも、スライディングタックルで相手からボールを奪うのが得意だっただろう。
センターミッドフィルダー:ジョー・ディマジオ(控え:ウィリー・メイズ)。ディマジオのクールで優雅な立ち振る舞いは、ドイツの王者たちを完璧に統率したベッケンバウアーを再現するだろう。メイズは中盤で信じられないほどのダイナモとなり、攻守において華麗なプレーを見せるはずだ。
右ミッドフィルダー:デレク・ジーター(控え:ムーキー・ベッツ)。ともに右利き優位で、多才かつ冷静沈着。優れたスキルを備え、ゲームの流れを読んで決断力のあるプレーをこなす能力を持っていた。
ディフェンダー(DF)
左サイドバック:タイ・カッブ(控え:ジョージ・ブレット)。カッブがスパイクの刃を先に向けて相手にスライディングしていく姿を想像してみてほしい。あるいは、ブレットが有名な『パインタール事件』のように、判定の後に審判に激しく詰め寄る姿を。ともに左利き優位で、スピーディー、そして絶対に諦めない闘争心の持ち主だった。
センターバック:アーロン・ジャッジ(控え:ジム・ソープ)。この大柄な男たちは空中戦を支配し、高く跳び上がって相手のヘディングシュートを阻止するだろう。そして、そのスピードと俊敏性を活かして、時には前線に忍び込み、コーナーキックを頭で合わせてゴールを決めることもあったかもしれない。
右サイドバック:リッキー・ヘンダーソン(控え:ロン・ルフルーア)。自分のことを普段から「リッキー」と呼んでいたリッキーは、ブラジルの伝説ペレ、ガリンシャ、ネイマールや、ポルトガルの偉大なロナウド、エウゼビオのように、ワンネームのスターになっていただろう。彼やルフルーアがスライディングタックルでボールを奪い、すぐさま右サイドを駆け上がって攻撃の口火を切る姿を想像してみてほしい。
ゴールキーパー(GK):スコット・ローレン(控え:ブルックス・ロビンソン、マイク・シュミット)。これら3人の偉大な三塁手たちは、ダイビングセーブを連発するのに必要な驚異的な反応力を備えていた。身長6フィート4インチのローレンは、ゴールの隅に飛んでくるシュートを阻むリーチの長さがあるため、先発に起用されるだろう。
U-S-A、U-S-A、U-S-A!
米国サッカーが成功を収めるためには、この国が誇る最高のアスリートたちが必要だ。もしジム・ブラウン、ウォルター・ペイトン、ボブ・ヘイズ、ラマー・ジャクソン、ダレル・グリーン、ランス・アルワース、バリー・サンダースをはじめとする、多くのアメリカンフットボールのスターたちが、世界版の「フットボール(サッカー)」をプレーしていたらどうなっていただろうか。
マイケル・ジョーダンやレブロン・ジェームズが跳び上がってヘディングシュートを決める姿はどうだろう。ジェリー・ウェストやラッセル・ウェストブルックが足でドリブルをし、他のNBAのレジェンドたちがサッカーをする姿は。
そしてゴールキーパーにウィルト・チェンバレンがいたら?NBA後期における体重300ポンドのウィルトではなく、440ヤード走、走幅跳、走高跳、砲丸投で受賞歴を持つ、高校および大学時代の陸上スターだった身長7フィート3インチのウィルトだ。
米国のW杯の歴史、そして他の多くのスポーツの歴史は、劇的に違ったものになっていたに違いない。



