この理論のうち監視の継続的なコストについては、認知的負荷を扱った近年の実験でかなりの妥当性が裏付けられている。一方、よりよく知られている予測、つまり抑制されていた思考は抑制が解かれると一気に戻ってくるという考えについては近年の大規模な再分析ではあまり支持されていない。「リバウンド」現象は研究間で一貫性がなく、その一因は出版バイアスにあることが分析で明らかになった。研究論文の主張が依拠しているのはより確かな方の部分、つまり視界にあるスマホは実際に手にしなくてもワーキングメモリの一部を占有する点に基づいている。スマホが手に取れる状態にあるというだけでそうなるようだ。
このパターンが特に見過ごされやすいのは、本人は全く気が散っていると感じないためだ。スマホを机の上に伏せて仕事をしている人は通常、近くにスマホを置いていない人と同じくらい集中しているように感じる。これはその人の意識は真に目の前の作業に向けられているからだ。スマホを近くに置いていることのコストは自覚されず、ただ仕事そのものに使える認知リソースの総量から静かに差し引かれている。これは、集中力に関する一般的なアドバイスが数多くあるにもかかわらず、人が努力の割に成果を上げられない理由かもしれない。通知だけが問題だったわけではなく、スマホが近くにあることが悪影響を及ぼしていたのだ。
注意力を守るのは意志の強さではない
ここから得られるより広範な教訓は、自己規律をどこで発揮するのが最も効果的かという点にある。集中とはその場で発揮する意志力の問題、つまりスマホに手を伸ばしたい衝動にかられたときにそうしないようにする意志の強さだと考えたくなる。
しかし、直近の研究が示した複雑さも含めて慎重に読むと、研究が示しているのはより控えめで実用的な考え方だ。それは、注意力は抵抗するより環境を整えることで守られるということだ。近くにあるスマホを確認しなくても高度な仕事に必要な注意制御という限られたリソースが使われるのであれば、より効果的な対策はスマホを無視する強い意志を持つことではない。作業を始める前に一度だけ行う、スマホとの距離の調整だ。
これにより、注意がそれるということはどういうことなのかが再定義される。注意を奪うものは、進行中の課題を実際に中断するものとは限らない。時には、手の届く距離に静かに置かれた「中断される可能性」が意識的に注意を向けることを一切求めないにもかかわらず、深いところでリソースを消費し続けていることもある。
この違いを理解するためにスマホを頻繁に確認する人を責める必要はない。ただ、気を散らすものとの戦いは多くの場合、始まる前からすでに負けていると理解する必要がある。それは意志が弱くなった瞬間ではなく、深く考えずにスマホを手元に置くというよくある決断をする時点ですでに決着がついている。


