キャリア・教育

2026.07.25 14:15

森田真生と永井玲衣が語る「10代と世界についていかに対話するか?」

森田真生(左)と永井玲衣(右)。写真=高見尊裕

古典を読むことの意味は、人類が色々なことを試してみたなかで、結局この辺りに回帰してくるな、と学んでいくことでもある。ソクラテスを読めばいいんですか、デカルトですか、カントですかということではなくて、色々な人が色々なことを考えてみた、その振れ幅みたいなものを身体化させていくこと。その振れ幅のなかで、ブレながらも回帰してくる線がこの辺りにあるな、というのを見出していく。そのためにはたくさん読むしかない。たくさん読むなかでももちろん、特に個人的に大きな影響を受けてきた本もあります。そのひとつが、唐木順三の『無用者の系譜』です。在原業平、西行、芭蕉、宗祇ら色々な人たちが出てくるんですが、日本の文化の大きな流れを作ってきた彼らは、みんな共通して「何者でもない者」として、つまり「無用者」として生きていたという事実を本書は教えてくれました。面白いのは、この「系譜」にある人たちの生きた時間が、必ずしも互いに重なり合っているわけではないことです。たとえば芭蕉が西行の生き方をある意味で継いでいく。でも芭蕉が生まれたのは西行が生きていた時代より500年も後のことです。このような時空を超えた継承がそもそも可能なのは、人から人ではなく、場所を介して、生き方が伝わっていくからなのでしょう。たとえば京都では、北から南に大きな川の流れがあり、東西と北を山々に囲まれている。人生よりも大きな時間幅でこうした風景が継承されていて、風景に寄り添い、風景を読み解きながら、人間の思考が積み重ねられてきた。もっと大きなスケールで言えば、この惑星そのものが、生命が読み解き、書き継いできたテキストだと言えると思います。その意味では、究極の古典は、この惑星そのものということになるでしょうね。

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森田真生◎1985年東京都生まれ。独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、独立。2016年、数学を通して人間に迫る初の著書『数学する身体』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。現在は京都に拠点を構え、在野で研究活動を続けるかたわら、全国各地で「数学の演奏会」などライブ活動を行っている。

永井玲衣◎1991年、東京都生まれ。「手のひらサイズの哲学」をコンセプトに、全国各地の学校、企業、寺社、美術館、自治体、路上、病院などで哲学対話を幅広く行う。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)、『世界の適切な保存』(講談社)、『さみしくてごめん』(大和書房)など。第17回「わたくし、つまりNobody賞」受賞。

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