おすすめの古典は?
永井:井伏鱒二の「山椒魚」です。私は文章を書くとき「悲哀とユーモア」というものが自分のなかでキーワードになっていて、すごく好きなんです。井伏はその達人なのですが、まさに人間存在そのものを描く人。「山椒魚」はオオサンショウウオが穴蔵から出られなくなる話で、笑ってしまうような短編。俺は出られるんだぞ、と言いながらも頭が詰まって出られない。そのうちメソメソしだして、外界を見る目も意地悪になってくる。ついにカエルをおびき寄せて、自分の道連れにする。カエルもはまり込んでしまって2人でやり取りをする。「バカだ」「バカだ」と。そしてカエルに対して「お前、出られないだろう」と。カエルも「お前だって出られないだろう」と。段々お腹も空いちゃって、ずっと黙っていて。ついに「もう動けないようだ」となる。でも最後にカエルが「でも俺は今もお前のことは怒っていないんだ」って言って終わる。すごく変な終わり方なんです。全集に入れる際にはそのシーンをカットしたとか、色々曰く付きの話があるんですが、私は最後の謎めいたシーンがとても好きです。中学生のころこれを読んで、「うん、やばい、これ私だ」と思った。どうしよう、私サンショウウオになっちゃう、と思って、取り乱した。色んな風に読めたんですよね。当時の私は、ひとりで自意識をこじらせて、もうどうにも分からない、というような感じで。この小説を読んで、他者とどう生きるか、という話である気がしたんです。自分ひとりで何とかやれるぞって思うんだけど、やっぱりハマっていて出られないし、弱さをもっているのに、カエルに言えない。カエルはそれを分かっていて、でも意地を張るんですよね。最後に2人の不思議な対話で終わらせますが、2人はおそらく死ぬんだけど、その終わらせ方にある種の希望を見出せたりして。
森田:なるほど。振り返ってみると、10代は外から見えない穴にはまってしまうことはありますよね。その洞窟の構造や、水の流れで石の穴から出られなくて、サンショウウオの生き方が制約されていく、という意味でいうと、自分の人生って必ずしも自由に選べるものではないですよね。どちらかというと、気づいたときには目の前にすでに地形や流れがあって、そのなかで自分が住める場所をなんとかして見つけていく。その意味でも「地形」を読み解くことはすごく大切です。人が読むべきテキストは本だけではない。どこに山があり、川が流れているかという、物理的な地形や、自分がいる場所の来歴を知ることもすごく重要です。10代のころにはほとんど考えもしなかったですが、京都で暮らしているなかで自分自身、そういう感覚は育まれてきた気がします。


