永井:そうですね。「思い」とおっしゃったのは本当にそうだな、と。私は「態度」って言ったりします。「対話の場はどうやってつくったらいいですか」「まず哲学の本をたくさん読むべきですか」と聞かれると、「いや、知識の問題ではないかも」と。「ではどういうスキルですか」「いや、スキルでもないかも」「それは『態度』の問題かもしれない」とお返しすることがあります。それは、10代であろうが大人であろうが関係なくて、やはりよく「きく」こと。それに尽きる。「きく」ということは、私の中で「待つ」ことであって、「待つ」ことは「信じる」こと。それらはすべて繋がっていて、「態度」ですよね。「あなたの声をききたい」そう思って待つんですが、相手は絶対表現しなければいけないわけではなく、ただ私はききたいと思ってここにいる。そして、あなたがそこに、私たちが今ここにいることができることを信じる。待っている。本当にそれだけなのではないかな。ただ、あんまりそういう風にいうと「極意」みたいに捉えられることがあって、「待つって、10秒ですか、20秒ですか」と。今はとにかく急がせなくちゃいけない、そう思わせてしまう社会構造なのだと思うのですが、とりわけ子どもの話になると、「子どもたちにいい対話をさせるにはどうすればいいか」という視点を持ってくる方も多い。それは素敵だと思うのですが、自分は切り離して、子どもたちだけのことを考えていらっしゃる。「きく」って人間の尊厳に関わる問題だと思うのですが、そもそも大人たちが声を聞かれていない、待たれていない、信じられていないのではないか。自分たちが与えられていないものを子どもたちに与えることは難しいのではないか、と思うことがあります。ですので、私は学校の話が来たときは、できれば先生方や保護者会でしたいです、とお願いすることがあります。大抵は難しい、ということになるのですが。
森田:先ほどの庭師の友人と会話をしていたときに、彼が「いいもの」に共通しているのは「緊張感」ではないか、と言っていて、ハッとしたことがありました。好き嫌いとは別に、やはり「いい庭」というのがあって、それはたとえば一つずつ丁寧に落ち葉を拾う時間が、手を通して緊張感として場に染み込んでいるような庭ではないか、と。究極的には、10代の人が大人を見る時にも、この「緊張感」こそが伝わるのだと思います。どれだけ良いことを言っているか、よりも、その人が積み重ねてきた時間の緊張感こそが伝わっていく。
永井:「緊張感」という言葉はいいですね。対話もすごく張り詰めているんですよね。待つ、というと、放っておくことでもあるんですが、見ないで放っておくことではなくて、待機しているんですよね。待機って緊張感のあるもので、よく「見て」いるんです。ある学校は、先生方がとてもよく見ていらっしゃった。「あの子、前々回はこんな感じだったけど、今回は」という。「そうそう、すごかったよね」と先生同士で盛り上がっている。いい目といい耳があって、彼女がそうあったことを祝福している姿に、すごくいい先生たちだな、と思いました。「よく見る」というと、すぐジャッジに結びつける人がいるんですが、そういう緊張感があることとか、場の変容とか、自らの変容にも気付ける、出会える場になると楽しいですね。
森田:「きく」ことにも緊張感があるというのは、すごくいいお話ですね。


