2年前、私はトロントであるCEOと向かい合って座っていた。彼の会社はシリーズBの資金調達を終え、従業員は40人。優秀な経営陣は、戦略計画プロセスに大規模言語モデル(LLM)の意思決定レイヤーを組み込んだばかりだった。
彼は静かな自信を漂わせながら、印刷した提案書をテーブル越しに差し出した。「この買収候補を、モデルは6週間前に有望だと示しました」と彼は言った。「あらゆる指標に問題はありません」
私はそれを慎重に読んだ。確かに指標には問題がなかった。財務上のロジックは妥当で、市場のタイミングも書面上は理にかなっていた。私は彼に1つ質問した。「御社のチームの中に、この会社の経営陣と実際に仕事をしたことがある人はいますか」
彼は、ほんの少し長すぎる間を置いた。
4カ月後、彼らはその買収を完了した。1年もたたないうちに、2つの経営陣の文化的な不一致が、数字が約束していたすべてを静かに崩していった。
AIは測定可能なすべてのものを測定した。だが、測定できないものを測定するようAIに求めた者は、誰もいなかった。
私はこの状況について長く考え、トロントの会議室で起きたことはテクノロジーの失敗ではなかったと結論づけた。それは知性の衣をまとった「知恵の失敗」だった。そして今、私は同じ種類の失敗を至るところで目にしている。
AIが極めて得意とすること
もはや誰も異論を唱えないことがある。AIは、人類がこれまでに作り上げた中で最も強力なパターン認識システムである。以上だ。
18カ月分の在庫データを与えれば、最も優秀なアナリストでも見逃しかねない相関関係を見つけ出す。1万件のカスタマーサポートの問い合わせを読み込ませれば、製品のどこに問題が生じているのかを優先順位付きで示す地図を差し出してくれる。
これは誇大広告ではない。少し前ならSFのように思えた規模で、いま実際の企業の内部で起きていることなのだ。
AIは処理し、測定し、予測する。そして、そのすべてを人間のどのチームよりも速く、安く、一貫して行う。
それ自体が問題なのではない。それこそが要点なのだ。
AIが背負うよう求められたことのないもの
ここからが興味深く、同時に居心地の悪い部分だ。ビジネス上の意思決定には、データに依存しない領域がある。それは判断に依存している。たとえば、ベテランの営業責任者が顧客との打ち合わせを終えて部屋を出た後、「何かがおかしい」と言う。だが、その感覚を正当化する指標を1つも示せない。そうした類いの判断である。
その感覚には名前がある。知恵である。そしてそれは、知性とは明確に異なるものだ。
知性は、データが何を語っているかを問う。知恵は、データが何を語っていないかを問う。知性は、見えている変数を最適化する。知恵は、見えていない変数を疑う。
あなたのAIシステムはいま、フル稼働している。尋ねられたあらゆる問いに、驚くほどの精度で答えている。だが、あなたは正しい問いを投げかけているだろうか。それとも、AIが答えられない問いを、いつの間にか問わなくなってはいないだろうか。
多くの経営チームが到達できないのは、このレベルである。知性が足りないからではない。上の問いが不快だからだ。
AIを大規模に導入する組織の内部で静かに起きているのは、意思決定権限のゆっくりとした、目に見えない移転である。それは劇的なものではなく、たいてい発表もされない。ただ、モデルの推奨がデフォルトになり、人間の判断は正当化を必要とする例外へと徐々に流されていく。
その流れこそ、いまビジネスで起きている最も高くつく事象である。おそらく、まだ損益計算書には表れていない。だが、いずれ表れる。
誤った判断がもたらす人的コスト
ケビンのことを考えてみてほしい。彼はニューヨーク市のSaaS企業で、11年をかけてカスタマーサクセスチームを築いてきた。32人のメンバーそれぞれの名前を知り、強みを知り、金曜午後4時の難しい顧客対応をそれぞれがどうこなすかも知っていた。
2024年第3四半期、彼の会社はAIカスタマーサクセスプラットフォームを導入した。応答時間は60%短縮され、満足度スコアは上昇した。四半期報告書は完璧に見えた。
2025年第1四半期までに、ケビンのチームは9人に減っていた。
モデルは測定可能なものをすべて測定していた。だが、ケビンのチームが担っていて、モデルには担えないものが何かを、誰も問わなかった。
顧客との関係は、何年にもわたる不完全で、極めて人間的な対話によって築かれていた。苛立った顧客に必要なのが解決策なのか、それともただ耳を傾けてくれる誰かなのかを見極める判断によって、築かれていたのだ。
これは感傷ではない。10年かけて築かれ、1つの四半期判断で永久に破壊され得る類いの知恵である。
ケビンのチームだけの話ではない。ゴールドマン・サックスの調査によると、AIは過去1年で月間約1万6000人の純雇用を消し去った。
多くの企業は、知恵を伴わないまま知性を拡大してきた。どの意思決定を決して自動化すべきでないのかを理解する前に、意思決定を自動化してきた。彼らは速く動いた。そして判断を伴わないスピードは、企業が犯し得る最も高くつく過ちである。
データがそのCEOに決して伝えなかったこと
私はいまも、トロントのあのCEOのことを考えている。買収が難航したからではない。彼が置いた間、私の質問に答える直前の、かすかでほとんど気づかないほどの一瞬が理由だ。
彼には知恵があった。必要だったのは、その間そのものがデータであり、整った予測や完璧な見通しの下で静かに手を挙げていた直感は、単なる疑念ではないと思い出させてくれる誰かだった。それは知恵だった。
良い知らせは、知恵はいまもあなたの内側に存在しているということだ。AIはこれからも賢くなり続ける。もはや問題はそこではない。問題は、いつモデルに耳を傾け、いつその間に耳を傾けるべきかを知るだけの賢明さを、あなたが保てるかどうかである。なぜなら、その間には永遠に等しい知性が宿っているからだ。
だから、その直感に耳を傾けるべきだ。どんな犠牲を払ってでも、その直感を守るべきである。あなたの直感は、データには見えないものを知っており、どんなアルゴリズムも問えるほど賢明ではなかったことを理解している。これまでも常にそうだった。これからも常にそうだ。
いまこの瞬間にも、あなたの会社のどこかで意思決定がなされている。問うべきは、それを誰が下しているのか、である。



