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2026.07.13 14:15

女性が未来を選べる地域へ──伝統は、偏見を守るためにあるのではない

地域の中核に至る道は開かれているか

祭りは象徴であり、入口である。構造は日々の家のなかに、職場にある。自治会に、消防団に、商工会に、農協に、PTAに、観光協会に、祭礼保存会に、地域企業に、議会や審議会の席にもある。誰が家事と育児と介護を担い、誰が意思決定の席に着き、誰の発言が「代表の声」として通るのか。その見えない配分こそが土台であり、祭りを問うことは、家を問い、職場を問い、地域の権限配分を問うことへとつながっていなければならない。

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特に私が主張したいのは、この偏見を解く責任を、女性に負わせてはならない、ということである。偏見が残る地域で、立場の弱い者が異議を唱えることには、人間関係をはじめ、さまざまなものを損なう危険がつきまとうからだ。一方で男性もまた、この秩序のなかで完全に自由だったわけではない。危険を引き受け、役を断らず、弱音を吐かないことを求められてきた人々も多い。しかし、その不自由は、中心と名誉の側に座る仕組みと結びついている。だからこそ、権限を持つ側、より多くを手にしてきた側が、先に問わねばならない。これは本当に守るべき伝統なのか。それとも、自分たちの特権を、伝統と呼び続けてきただけなのか、と。

ただし、内省だけで権限が手放されることは、めったにない。物事を実際に動かしてきたのは、参加への回路を制度として書き残すこと、意思決定の席の配分を変えること、家庭内の分担を心がけではなく取り決めに組み替えること、そして異議を唱えた人が不利にならない仕組みをつくることだった。制度が席を用意し、関係性が、その席を本物にする。

伝統とは、過去を凍結することではない。形を変えながら次の世代へ受け渡していく、生きた営みである。多様な担い手が尊厳をもって関われない土地では、伝統を継いでいく条件そのものが、静かに痩せていく。最後に残るのは、生きた祈りではなく、担い手を失った形式だけだ。

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だからこそ、最後に問うべきことは、ひとつに絞られる。それぞれの地域で、中核の意味へ至る道は、性別だけを理由に閉ざされていないか。

女性が、残ることも、戻ることも、かかわることも、去ることも、尊厳をもって選べる地域へ。ここでいう「選べる」とは、個人が強くなりさえすればよいという意味ではない。異議を唱えても孤立しない関係。役を断っても罰せられない慣習。ケアを一人に背負わせない制度。生きていける所得と職場。意思決定に届く席。それらがあって初めて、選択は本当の選択になる。

祈りから偏見を切り離し、名誉を独占から解き放つとき、伝統は初めて未来に向かって開かれるのではないだろうか。繰り返すが、伝統は、偏見を守るためにあるのではない。次の世代が「自分も、私たちの物語の担い手になれる」と思えるように、伝統を未来へ開く門へと変えていくこと。その営みこそが、地域の未来をつくるのだと思う。

文=宮田裕章、編集=松崎美和子

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宮田裕章の「辺境」未来論 ──Resonant Regions

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