「売上の低迷」「案件パイプラインの停滞」「退任させるべき役員」「足かせとなった取締役」「部屋の空気を一変させた新たな投資家」「半年前には機能していたが、今は機能していないチーム」。
これらは、筆者がよく耳にする言葉だ。
その根底にあるのは、ほぼ例外なく次の4つのうちのいずれかである。顧客を真に理解していないこと、市場の動きが自社の先読み能力を超えて速かったこと、あるいは、地殻変動を感じ取る前にテクノロジーが足元をすくい去ったことだ。そしておそらく最も致命的なのは、必要な責任を背負うにはあまりにも脆弱であるか、あるいは変化を拒むほどに組織が硬直化しており、自社がそのどちらの状態にあるのかを明確に見極めて行動を起こすことができていないことだ。
問題は、ほぼ常に別の場所にある
「損益(P&L)の近接の罠」とは、説明責任が結果からあまりにも遠く離れているとき、組織がプロセス(手続き)へと逃避してしまう傾向を指す。しかし、結果の内側で作用している同様の罠について語られることは少ない。
こちらの罠は、診断がより困難である。
組織内部の「透明性の欠如」は、それ自体が明確な姿を現すわけではない。それは目に見える症状としての言葉、すなわち売上の伸び悩みやパイプラインの停滞、経営判断の先送りといった形で表面化する。これらは目に見えるがゆえに問題そのものであるかのように思える。しかし、可視性と因果関係は同じではない。
透明性の欠如は、組織内を伝播する。それは意思決定が行われる会議室、あるいは責任の所在が曖昧になるまで決定が分散される場所から始まり、やがて収益の問題、人材の問題、あるいは市場における問題となって現れる。それが目に見える形になったときには、すでに数カ月、あるいは数年もかけて組織内を巡ってきた後なのだ。
退任させるべき役員は、ほぼ間違いなく、売上の低迷を招いているのと同じ組織文化によって守られてきた。交代が囁かれながらも居座り続ける取締役は、「敬意(リスペクト)」ではなく「礼儀(ポライトネス)」によって守られている。この2つは似て非なるものだ。
礼儀は瞬間を守り、敬意は人を守る
リーダーシップにおいて、単なる「礼儀(不都合な真実を口にしないこと)」は毒薬である。それは遅効性で、目に見えず、損害が決定的なものになるまでは親切心と誤解されがちだ。礼儀は、相手が知るべきことではなく、相手が聞きたがっていることを伝える。不適格な人物を不適切なポジションに留まらせ、最終的には不名誉な形での退職を余儀なくさせる。成果の出ない事業を温存し、最終的にはその事業を終了するコストが事業そのもののコストを上回る事態を招く。そして、そのすべてが組織の内部からは「優しさ」のように感じられるのだ。
一方、「敬意」の働きは異なる。敬意とは、相手がそれを使って何かできるくらい早い段階で真実を伝えることだ。組織文化がその人を何から守るかではなく、その人が本来発揮できる力に対して期待をかける。難しい会話を避けることで尊厳を守るのではなく、状況が尊厳を不可能にする前にその会話を行うことで、尊厳を確保する。そしてそれは、リーダーが送りうる最も重要なメッセージを発信する。すなわち、「私はあなたに正直であるに足るほど、あなたの能力を信じている」というメッセージだ。
「礼儀」と「敬意」を混同する文化は、誰も救わない。それは単にツケを先送りし、雪だるま式に膨らませているだけだ。真摯な対話を求められるべき人々はそれを与えられず、ただ放置される。真実を告げられずに無視されることは、プロフェッショナルとしてのキャリアにおいて、最も静かに、しかし深く自尊心を傷つける経験の一つだ。
これらは根本にある同一の問題が、異なる距離に現れているに過ぎない。そして「礼儀」こそが、それらすべてを一度に見えなくしてしまう文化なのだ。
この罠から逃れるのを極めて困難にしているパラドックスがここにある。
最初は意図的な意思決定として始まったものが、やがて目に見えないインフラ(当たり前の前提)へと変化していく。そこには、意思決定の方法、誰の意見が聞き入れられるか、何を評価し、何を容認するか、といったことが含まれる。それは単に「うちの会社のやり方」だと感じられるようになる。
そしてまさにその瞬間、それは機能しなくなるのだ。
筆者はこれまでに、組織のあらゆる成長段階にある創業者やCEOと対話してきた。筆者に相談を寄せるリーダーたちは、次に何をすべきか分からずに困惑しているのではない。彼らは、自分がすでに多くのことを「知りすぎている」がゆえに身動きが取れなくなっている。彼らに必要なのは、全く異なる視点であり、その症状を引き起こしている構造そのものに目を向けることだ。
それこそが、議論するに値する唯一のテーマである。
持ち込んだ問いとは違う問いを立て、なぜそれが重要かを知る
成果を上げ続けるリーダーには、自社組織に対する独自の規律がある。彼らは、意思決定から結果に至るまでの組織内の距離を、外部に対するのと同等の厳しさで検証する。そして、率直であることを安全にし、曖昧であることを高くつくものにする。
人材が問題の核心であるとき(遅かれ早かれ、ほぼ常にそうなのだが)、組織の構築者たちは、筆者が「構成の原則」と呼ぶものを適用する。
筆者はこの原則を、単なる観察から導き出したのではない。実際の「結果」と対峙する中で作り上げたものだ。筆者が現在の役職に就いたとき、組織には複数の実体が存在し、構造は噛み合わず、存続の基盤となるアイデンティティが失われかけていた。何を維持し、何を解体し、何を再構築するかという一つひとつの決定が、組織のレシピを変化させた。一手ごとに組織の手触りは変わっていった。数年後、それらの決断の成果として、今や組織の収益のほぼすべてが、継続を希望する会員によって支えられている。
組織とは、生きたレシピだ。誰かが加わるたびに新しい材料が追加され、誰かが去るたびに材料が一つ失われる。組み合わせ、配合、タイミング、そして各要素間の相互作用が、個々の材料よりもはるかに決定的に成果を左右する。間違った要素を一つ加えるだけで、全体の風味が変わってしまう。荷重を支える重要な骨組みを取り除けば、形が定まる前に崩壊してしまう。
持続可能な組織を築くリーダーは、この構成に細心の注意を払い、意図的にコントロールする。彼らは加えるものと同様に、取り除くものに対しても極めて慎重である。そして、不都合な真実に向き合わなければ到達できないほどクリアな解像度で、自らが真に生み出そうとしているものを理解している。
その評価を下すには、単なる経験だけでは保証されない能力が必要となる。それは、フィードバックを読み解く力、大切な関係性を壊さずに困難な対話を進める力、そして忠誠心、過去の経緯、あるいは対立回避による歪みなしに人々をありのままに見つめる力である。この最後の能力こそ、最も稀有なものだ。そして、それが欠如していることこそが、ほぼ常に、人に関わる問いを組織の麻痺へと変えてしまうのである。
表出する言葉は、常に入り口に過ぎない。そこからどう行動するかが、すべての鍵を握っている。



