今日の職場や社会における最も難しい課題のいくつかは、同時に最も単純化されやすい問題でもある。
なぜ若年層は労働市場への参入に苦戦しているのか。なぜ人々は退職を先延ばしにしているのか。なぜ住宅所有はますます困難になっているのか。なぜ人生の異なる段階にある従業員は、仕事に対して異なるものを求めているように見えるのか。
これらは、経済、人口動態、テクノロジー、公共政策、そして人間行動が絡み合う複雑な問いである。
しかしながら近年、こうした課題の多くが、はるかに単純なレンズ、すなわち「年齢」を通して説明されるようになっている。
私は、この現象がどのように起こっているのかに強い関心を抱くようになった。
研究がその出所から離れれば離れるほど、単純化され、商業化され、当初の研究者が意図しなかった形で運用される可能性が高まる。
その過程のどこかで、集団についての観察が、個々の人々についての思い込みへと変わってしまうのだ。
研究が研究室を離れるとき
私は長年、年齢と仕事について研究してきたが、この現象が最も鮮明に表れるのは、年齢ラベルの使用においてだ。
誤解のないよう述べておくと、私は、人生の似た段階で同様の歴史的出来事を経験したコホート(集団)を研究することをやめるべきだと言っているのではない。実際、私は2年前にこのテーマについて、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の行動科学者ダニエル・ジョレス博士とともに互いの立場を尊重した論考を共同執筆した。
ジョレスは、年齢ラベルは研究者や一般の人々が広範な社会的変化を可視化し、伝えるのに役立つと主張している。それは間違いではない。
異なる時代に成人期を迎えた人々は、それぞれ異なる経済的、社会的、技術的現実を経験する。インターネットの台頭期、世界金融危機、あるいは新型コロナウイルスのパンデミックのさなかに労働市場に参入した人は、異なる状況で参入した人とは異なる経験を持ち込むかもしれない。そうした経験はキャリア全体に影響を及ぼしうる。
問題は、これが本来、年齢そのものについての話ではないという点だ。それは、誰もが通過する人生の一段階、すなわち成人期への移行についての話である。これは、特定の瞬間を人生の特定の段階で経験する人々のコホート分析だ。時間、そして年齢は連続体であるため、その差異は1年であれ15年であれ、人によって異なる。
翻訳の問題
私が年齢ラベルを危険だと考える主な理由は、たとえ研究において慎重に用いられていたとしても、それが科学から引き剥がされ、職場文化に持ち込まれ、あたかも個人を描写するかのように使われてしまうことだ。
研究者は集団の中にパターンを探し、傾向を見出す。
リーダーはビジネス上の意思決定を下し、戦略的目標を設定する。彼らは個人を採用し、育成し、昇進させ、留めることで、それを実現していく。
公表された研究と職場での実践の間のどこかで、ニュアンスは失われ始め、そこに至る過程は誤読されやすくなる。
研究は見出しとなる。
見出しは基調講演となる。
基調講演はマネジメント哲学となる。
マネジメント哲学は職場慣行となる。
その時までに、集団についての観察として始まったものが、個人についての思い込みへと変わってしまっているかもしれない。
やがて、集団全体が、すべての個人を描写する意図など決してなかった特性と結びつけられるようになる。
それはもはや研究の知見ではなく、職場のステレオタイプなのだ。
複雑さが対立に変わるとき
最近の2つの例を考えてみよう。
1月、ワシントン・ポスト紙は、なぜ若年層が労働市場への参入に苦戦し、一方で年配の労働者がより長く働き続けているのかを取り上げた。その見出しは、「ベビーブーマーが労働市場に留まる一方、Z世代は突破に苦戦」というもので、あたかも若年層が仕事を見つけにくいのは年配の労働者のせいであるかのように、誤解を招く形で示唆していた。
しかし、その根底にある分析はまったく異なる要因を指摘していた。雇用主のリスク回避、初任者採用の減少、人工知能、人口動態の変化、経済的不確実性、そして雇用主による研修投資の減少である。この見出しは、労働塊の誤謬、すなわち「仕事の量は決まっており、あるグループが職を占めれば別のグループは必然的に職を失う」という経済学上の誤った前提を想起させる。
その数カ月後、ニューヨーク・ポスト紙の住宅記事も同様に誤解を招く主張を展開した。
「ベビーブーマーが若年層の住宅所有を阻み、初回住宅購入が過去最低に急落」――この見出しは、初回住宅所有が減少しているのはベビーブーマーが若い層の住宅購入を妨げているからだと示唆していた。
ここでも、根底にあるデータはもっと複雑な物語を語っていた。住宅供給の制約、金利、蓄積された住宅資産、購入可能性の課題、学生ローン債務、そして数十年にわたる公共政策上の決定――しかもそれらは全世代にわたる問題だ。
問題は、ある年齢層が別の年齢層の成功を妨げているということではなかった。問題は複雑な住宅市場そのものにあったのだ。
私は、LSEの論考でも他の見出しの例を用いて同様の主張をした。残念ながら、誤解を招く見出しはしばしば読者数を増やす。
いずれのケースでも、根底にある研究が間違っていたわけではない。翻訳が間違っていたのだ。
複雑な構造的現象が、年齢層についての物語に変換された。それらの物語は説明となった。そして、繰り返し語られる説明は、やがて信念となる。
その結果、いくつもの人為的な対立が生み出される。
- 年配の労働者対若年労働者。
- 住宅所有者対初回購入者。
- ある年齢層が成功するのは、別の年齢層が失敗したからにすぎない、という構図。
しかし、職場や社会の課題のほとんどは、ある年齢層が別の年齢層から何かを奪った結果ではない。それらは人口動態の変化、経済状況、公共政策、技術的破壊、そして組織の意思決定の結果なのだ。
3つの重要な問い
リーダーは、本質的に構造的な問題を年齢層のせいにする物語に対して、懐疑的であるべきだ。さらに言えば、職場では可能な限り年齢ラベルの使用を避けたほうがよい。年齢ラベルは、明らかにする以上に覆い隠してしまう思い込みやステレオタイプと結びついていることが多いからだ。
リーダーがより明確な視座を得るために、次の3つの問いが役立つ。
- これは本当に年齢の問題なのか、それとも人生の段階の問題なのか。
- これは本当に人の問題なのか、それとも仕組みの問題なのか。
- この説明は理解を生み出しているのか、それとも単に責任を負わせる相手を作り出しているだけなのか。
これからの働き方には、あらゆる年齢層の人々がますます複雑な問題を共に解決していくことが求められる。リーダーは、対立についての物語を、実際に対立が存在する証拠と取り違えないよう注意しなければならない。



