世界3大デザイン賞のひとつであるRed Dot Design Award 2026において、最高位の「Best of the Best」を含む2つの賞を受賞したオフィスチェア「ingCloud(イングクラウド)」。
日本のモノづくりをリードし続けるコクヨが、実に8年の歳月をかけて生み出したこのプロダクトの開発責任者・木下洋二郎の言葉から見えてきたのは、創業120周年を迎えたコクヨが受け継いできたモノづくりの哲学と、「好奇心」を原動力に描く未来だ。
「世の中の役に立ちたい」という創業以来の精神
日本国内では知らない人はいないモノづくりメーカー「コクヨ」。累計37億冊以上を販売する「キャンパスノート」など、日本人なら誰もが一度は手にしたことがあるロングセラー商品を数多く生み出している。そのため、一般には「文具メーカー」というイメージが強くありながら、実際には120年に及ぶ歴史の中で、文具を扱うステーショナリー事業に加え、ステーショナリー事業に加え、オフィス家具やオフィス空間を手掛けるファニチャー事業、さらにはビジネスサプライ流通事業やインテリアリテール事業と、人々の「働く」「学ぶ」「暮らす」に関わる“WORK & LIFE STYLE Company”として、幅広い領域で多様な価値創造を続ける。
そして、そのコクヨには、あらゆる事業において決して変わらずに持ち続けている想いがある。それが「商品を通じて世の中の役に立つ」という創業以来の精神だ。
「僕は、この『商品を通じて世の中の役に立つ』ことを実現するために、『ユーザー起点』で顕在化していない困りごとを拾い上げ、形にするために突き詰めるこの姿勢にこそ、コクヨのクリエイティブの原点があると感じているんです」
そう語るのは、「ingCloud」の開発責任者である木下洋二郎(以下、木下)だ。木下はその原点を象徴するものとして伝わる創業当時のエピソードに触れる。
「コクヨは和式帳簿の表紙店として創業したわけですが、表紙から帳簿全体の製造へと事業を拡大したときに、創業者の黒田善太郎は『お客様のことを考えたら中身が正確に100枚であるべきだ』と考え、それを保証する意味で「正百枚」と明記して徹底しました。コクヨは後発企業でしたし、業界のルールを変えるような改革には、当然反発もあったと聞いています。ですが、それでも押し通した。それはなぜか。その方がお客様のためになるからです。非常にシンプルかつ当たり前な考え方で、特別な技術革新があるわけでもない。ですが、僕はここにこそコクヨが大切にしている精神が詰まっていると感じるんです」
モノづくりにおいては確かに技術革新も必要だが、その革新は何のためにあるべきなのか。コクヨでは常に、その起点に「ユーザー」が存在し、その核には解決すべきユーザーの「困りごと」がある。目の前の人が本当に求めているものを突き詰めればこそ、常識に目を塞ぐことなく、ユーザーの立場から真に求められている革新性を生むことができるのである。
さらにコクヨは、単に優れたプロダクトや空間を生み出すだけではなく、何よりもその先にある体験そのものをデザインすることに力を注ぐ。どのようなプロダクトを作るかではなく、どのような体験を生み出し、どのようなマインドを呼び起こすのか。モノづくりの先にある「コトづくり」、さらには人の行動や心の動きまでを想像した「体験デザイン」を見つめているのだ。
始まりは、オフィスチェアの役割そのものへの問い
こうしたコクヨの思想を象徴するプロダクトのひとつが、2025年の創業120周年と時を同じくして発売され、Red Dot Design Award 2026において最高位の「Best of the Best」を含む2つの賞を受賞した「ingCloud」。実に8年という、コクヨでも異例の長さの開発期間をかけたこのプロダクトの原点は、17年に発売された初代「ing」にまで遡る。
「そもそも僕らがつくりたかったのは、人がもっと自由に動けて、もっと快適に働けて、もっと創造的になれる、そんな体験を生み出すことのできるチェアでした」
その初代「ing」の出発点は「人は本来どう座っているのか」という問い。そこで木下をはじめとした開発チームは、従来のオフィスチェアが正しい姿勢を維持するために身体を支え、安定させることを前提としてきた中、その前提そのものを疑うところからスタートした。
そうしたオフィスチェアの常識を見つめ直した末に生まれたのが、座面が360度自由に動く独自機構を搭載した初代「ing」。人が本来持つ微細な動きを妨げることなく受け止めることで身体が自然に動き続けることができ、それにより筋肉や関節への負担を分散し、長時間のデスクワークでも快適な座り心地を実現。身体への負担の軽減はもちろん、脳の活性化への好影響も確認され、「ing」は人の働き方そのものを変えるプロダクトとして、Red Dot Design Award 2019で最高位の「Best of the Best」をコクヨとして初受賞するなど、注目を集めることになった。そして、その思想をさらに追求し、進化させた存在こそが「ingCloud」なのである。
「『ingCloud』への進化を模索する中で気付いたのは、人は座っていても常に動いているということでした。集中しているときも、考え事をしているときも、会議中も、無意識に重心を移動させ、姿勢を変え、バランスを取り続けている。つまり、人は生きている限り、たとえ座っているときであっても、正しい姿勢をずっと維持しているのではなく、動き続けているんです。それならば、椅子はその動きを止めるのではなく、むしろ引き出して、受け止めた方がいいんじゃないか。『ingCloud』のイノベーションは、まさにこの気付きから生まれました」
椅子の存在を忘れるような圧倒的な体圧分散
「『ing』が人の動きを引き出すチェアだとすれば、『ingCloud』は人が本来持つ動きに寄り添うチェア。まさに、“まとう”ような座り心地が実現しています」
「ingCloud」では、「ing」の特徴的な座面構造に加え、背もたれなどにおいても、人の自然な動きに寄り添う構造になるようミリ単位での調整を繰り返した。通常、背もたれは姿勢を支える役割を担うが、同じ姿勢で長時間座っていると体の一部に圧力が集中し、それが疲労感や不快感の原因につながってしまう。
しかし「ingCloud」では、「どこにも負担が集中せずに身体全体で圧力が分散されている状態」を目指して開発した独自の「3Dウルトラオートフィット機構」により、体格差や姿勢の変化に関わらず、しなやかに追従することで、腰や背中の特定の部位だけを支えるのではなく、椅子全体で身体を受け止め、圧倒的な体圧分散を可能にした。
「僕が印象的だったのは、お客様から『柔らかい椅子ですね』と言われたことでした。というのも、私たちとしては、柔らかさを追求したわけではなかったんです。体圧分散を徹底的に追求し、椅子が身体の動きに完全に追随した結果、そこに椅子があることを忘れるような『柔らかさ』につながっているんです」
「開発期間8年」という時間からも想像できる通り、この体験を実現するまでの道のりは決して平坦ではなかった。実に試作回数は約300回以上を数え、途中にはコンセプトの転換も余儀なくされた。それでも木下は「一度も諦めようとは思いませんでしたね」といい、その理由を「実は」と前置きして続ける。
「僕自身の脊椎のS字カーブが非常に強くて、平均値に合わせたオフィスチェアを使うと腰痛に悩まされてきたんです。ただ、背もたれのカーブを自分に合わせると他の人には合わないですし、他の人や平均値に合わせると今度は自分に合わない。自分自身のためにも、同じような悩みを抱える多くの人のためにも、諦めるということは考えたことがありませんでした。一人ひとりの深い困りごとに寄り添い、そこに共通する普遍的な解決策を見つけることで、平均値を採用するような既存のプロセスからは見えてこなかった新しいアプローチのイノベーションが生まれるのだと思っています」
実際に、ingCloudの開発過程では、40人を超えるプログラマーやエンジニアに対し、個別の観察とディープインタビューを行い、彼らが抱えてる職種ならではの身体への負担や困りごとに徹底的に寄り添った。これはまさに一人の深い困りごとを徹底的に掘り下げるという、“N=1”からのアプローチ。筋肉、骨格、骨盤、重心移動など、あらゆる身体の仕組みや動きを研究し続けた結果、最終的には人間そのものの普遍的な身体の動きにたどり着き、“誰か”ではなく、あらゆる人に寄り添うことのできるプロダクトに昇華したのである。さらに木下が「ingCloud」によって生み出したい体験は、人の働き方や“座る”という行為を超えて、生き方そのものにも及ぶ。
「実は『ingCloud』には裏コンセプトとして、『アフター5を全力で』というものがあるんです。仕事が終わったときに疲れ切っていたら、その後の時間を楽しむ余裕はないかもしれないですが、『ingCloud』を使った場合には、仕事終わりにも元気なままで、家族との時間や趣味など、豊かな人生を過ごすことができるようになってほしいなと」
もっと快適に働けること。もっと自由に発想できること。もっと豊かに生きられること。「ingCloud」が提供する価値は、単に働く環境をより良く快適にすることではなく、人生そのものを豊かにすることにある。これはまさにコクヨが目指す“WORK & LIFE STYLE Company”としての姿に重なる。
誠実な眼差しと、好奇心を携えて世界へ
誰のために作るのか。どのような困りごとを解決するのか。そしてどのような体験を届けたいのか。その問いを繰り返しながら、コクヨは時代ごとのスタンダードを更新してきた。そして25年に創業120周年を迎えたコクヨは、コーポレートメッセージとして「好奇心を人生に」を掲げた。これは単なるスローガンなどではなく、これまでコクヨが顧客に提供してきた価値を改めて言語化したものでもある。
「『好奇心』と聞いたとき、実は最初は少し照れくさかったんです。でも確かにそう、お客様に届けているだけでなく、コクヨで働く僕ら自身を突き動かしているのも、好奇心なんですよね」
「好奇心」は、人が前へ進もうとする原動力そのもの。だからこそコクヨは、好奇心を詰め込んだプロダクトを通して、働く人々、学ぶ人々、あるいは暮らしの様々な場面で、それぞれの人の好奇心を刺激し、人生を豊かにしようとしている。
そして今回、「ingCloud」がRed Dot Design Award 2026において最高位「Best of the Best」を受賞したことは、決して単にひとつのプロダクトが評価されたという意味だけにとどまらない。今回の受賞は、120年にわたって培われてきたコクヨのモノづくりの精神が、世界から認められたことの証と言っても過言ではない。
そうした中でコクヨは今まさに、その精神と価値を日本国内にとどめることなく世界へと広げるべく、すでにアジアを中心に展開しているステーショナリー事業に加え、ファニチャー事業の海外展開も本格化し始めている。
世界最大級のオフィス家具見本市「オルガテック」への出展も世界市場におけるブランド認知の向上に向けた取り組みのひとつであり、26年には東京会場に加え、ムンバイ、そして本場ドイツ・ケルン会場でも出展を行う。展示の中心はオフィスチェアであり、当然そこにはフラッグシップとなる「ingCloud」も並ぶ。

「コクヨは日本の中では広く知っていただいているものの、海外ではまだまだこれから。ですが、コクヨが大切にしている精神とそこから生まれるプロダクトは、世界でも十分通用するものだという確信があります。まずは、世界中の誰にとっても心地よい椅子を目指したこの『ingCloud』が、コクヨの象徴的なプロダクトとして、コクヨと世界との出会いの入り口になってくれたらと願っています」
今まさに本格化しているコクヨの新たな世界への挑戦。日本から世界へとフィールドを広げようとも、その根底にあるのは、120年前から受け継がれている一人ひとりのユーザーへの誠実な眼差しと、徹底的に問いを追求し続ける好奇心に変わりない。人々の「働く」「学ぶ」「暮らす」を支え、その可能性を広げる“WORK & LIFE STYLE Company”へ。コクヨが今、世界へと歩み出す。
ingCloud
https://kokuyo.jp/sp/ingcloud/
世界最大級のオフィス家具見本市「オルガテック東京2026」出展
「人の体験」を起点としたモノづくりの思想を発信
2026年6月、東京ビッグサイトで開催された世界最大級のオフィス家具見本市「オルガテック東京2026」。世界各国の家具メーカーやデザイン企業が集うこの展示会において、コクヨは「Find your experience.」をコンセプトに掲げたブースを展開。製品の機能や性能だけでなく、「人の体験」を起点としたモノづくりの思想そのものを発信する展示は高い評価を受け、「ORGATEC TOKYO Awards 2026」準グランプリを受賞した。
展示の中心は、オフィスで人が最も長い時間身体を預けるオフィスチェア。背景には、コクヨがオフィスを単なる業務空間ではなく、人と人がつながり、新たな価値や創造性を生み出す場として捉えていることがある。
ブースでは、異なるアプローチで人の身体を支える3つのチェアを展示。まず1つ目が、発売10周年を迎えたベストセラーチェア「Duora2」。フリーアドレスやABW(Activity Based Working)の普及により、複数の人がひとつの椅子を共有する働き方が広がる中で開発された製品であり、多様な利用者にフィットする設計を実現している。
「ingCloud」の展示もされている。人の動きに寄り添い、その動きを妨げないことを重視した設計が特徴であり、コクヨ独自の人間工学研究の成果を体現する製品として注目を集めている。
さらに今回初公開されたのが、次世代フラッグシップチェアのプロトタイプ「PROJECT:C15」。グローバル市場を見据え、小柄な人から体格の大きな人まで幅広く対応できることを目指して今まさに開発が進められている。
展示空間としても、布素材を幾重にも重ねた透明感のある構造と照明演出によって、人と環境が相互に影響し合う様子を表現。来場者の動きや時間の経過によって見え方が変化する空間は、「体験」を重視するコクヨの思想を象徴するものとなっていた。
コクヨは2026年、東京に続きドイツ・ケルン、インド・ムンバイで開催されるオルガテックへの出展も予定しており、「人の体験」を起点としたモノづくりの思想を世界へと発信する。
きのした・ようじろう◎コクヨ株式会社 グローバルワークプレイス事業本部 1Mプロジェクト ing開発リーダー。オフィスチェアを中心に、家具全般の先行開発およびアドバンストデザインを担当。人間工学や脳科学の視点から行動観察を行い、デザインとエンジニアリングを融合した開発手法でコクヨのイノベーションをリード。ドイツiFデザイン賞金賞、Red Dot Design Award「Best of the Best」、グッドデザイン賞金等、受賞多数。



