問うべきは、AIが何を自動化するかではない。AIが何を暴き出すかである。
私は、一見何の共通点もない2つのビジネスを率いている。1つはサイバーセキュリティで、私は大手クライアントやコンサルティング会社で15年以上を過ごしてきた。もう1つは、ルナ・ファッション・ハウス(Luna Fashion House)というウィメンズウェアのブランドだ。このブランドは、「値引きはしない、トレンドは追わない、誰も求めていない服は作らない」という拒絶の姿勢の上に築き上げた。人々は、これら2つのビジネスが対極にあると考えがちだが、どちらの分野でも最終的には真実が明らかになり、そこに事業計画書(ピッチデック)の甘い言葉が通用することはない。
サイバーセキュリティにおいて、私は「単なる活動」と「価値」の違いを早い段階で学んだ。セキュリティ統制は、有事の際に機能するか機能しないかのどちらかだ。プロセスは、人々がより良い意思決定を行うのを助けるか、あるいは単に実行しなければならない業務を1つ増やすだけかのどちらかである。第3の選択肢はない。
企業社会は何十年もの間、「パフォーマンス劇場(仕事をしているふり)」に報酬を与えてきた。会議の増加、進捗管理ツールの増加、進捗状況を報告するための進捗報告の増加。いつの間にか、「動いていること」が価値の証明になってしまった。しかし、その動きは単に、カレンダーの招待状が送られてくるだけの「活動」にすぎない。
AIは、方向性のない活動を標的にしている。誰にも読まれなかったレポート、評価が行われたことを証明するためだけに存在した評価、次の会議に議題を持たせるために設定された会議、自らを守ること以外に何も守っていない引き継ぎを、AIは暴き出す。
ツールは問題を解決しない。問題を自動化するだけである
私たちが「複雑さ」と呼んでいたものの多くは、決して複雑さではなかった。それは、年功序列に守られた「非効率さ」にすぎなかったのだ。
私は、本来2回で済む引き継ぎを8回も行っているプロセスを目にしてきた。そして、人々が残りの6回の引き継ぎを必死に擁護する姿を見てきた。なぜなら、その非効率な引き継ぎこそが、いつの間にか彼らの「仕事」になっていたからだ。これは人材の問題ではなく、設計(デザイン)の問題である。AIツールは構造的な問題を解決しない。ただ、その非効率なシステムに、より高速なエンジンを提供するだけだ。
初期のAI導入の多くが、進歩のように見えて実は衰退をもたらしているのはこのためだ。不適切なプロセスが自動化され、お粗末なレポートが毎時間のように作成される。見栄えだけが良くなった「ノイズ」が増える。AIはアンプ(増幅器)であり、フィルターではない。無駄を渡せば無駄を拡大し、適切な判断を渡せば適切な判断を拡大する。モデルは中立だが、組織の設計に関する意思決定は中立ではない。
人間の価値は、本来あるべき場所に戻る
私たちは、「判断」が任意であるような役割を多く作りすぎた。もしあなたの貢献が、主に下書きの作成、書式の調整、進捗の追いかけ、そして仕事を仕上がっているように見せることであるなら、AIはその実態を白日の下にさらすだろう。AIが冷酷だからではない。私たちが膨らませてきたそれらの業務において、AIの方が安く、速く、十分な精度でこなせるからだ。
機械が数秒で下書きし、要約し、比較し、初版を作成できるようになると、人間の価値は、本来ずっとそこにあるべきだった場所へ戻る。すなわち、意思決定と判断である。
かつての通貨は「労力」だったが、AIはその価値を暴落させた。ある成果物の作成に3週間がかかり、6人の人員が関わっていたとすれば、そのコストの高さゆえに彼らは自らの価値を実感できた。しかし今や、初稿の作成コストはゼロになり、労力は価値の証明にならなくなった。残されたのは、これまでにない最も本質的な問いだけだ。すなわち、「この仕事は意思決定を変えたか、リスクを低減したか、あるいは顧客の心を動かしたか」という問いである。もしその答えが率直に「ノー」であるなら、それは価値の仮面をかぶった「単なるコスト」だったのだ。AIは、組織がこれまで実施したなかで、最も低コストで済む「監査」なのである。
有能な人々にとって、これは素晴らしいニュースだ。課題を定義し、アウトプットを検証し、決断を下し、その結果に責任を持てる人材は、代替が難しくなる一方である。AIはそのような人材を萎縮させるのではない。彼らの周囲にある「雑音」を取り除いてくれるのだ。
機械が手を出せない領域
AIは意思決定の責任を負えない。結果を引き受けることはできない。不安を抱えるクライアントの向かいに座り、信頼を育むことはできない。答えが技術的には正しくても、戦略的には間違っているときを知ることもできない。
ルナ・ファッション・ハウスにおいて、私はその限界を毎日目にしている。機械は1000もの選択肢を処理し、数週間分の調査を数分に圧縮することはできても、どのシルエットに美しいプロポーション、存在感、そして意味があるのかを知ることはできない。服が単に女性の体にフィットするだけでなく、その人生に寄り添うものであると実感したときに、彼女が何を感じるかを知ることはできない。それこそが、代替不可能な人間の仕事なのだ。
より勇敢な問い
勝者となるのは、「どれだけの業務を自動化できるか」を問う企業ではない。むしろ、「これらの業務のうち、そもそも存在すべきではなかったものはどれか」と問いかける勇気を持つ企業だ。
この問いは、肩書や慣行、および「多くの人が関わっていれば、そこに価値が生まれる」という都合の良い嘘を脅かす。私がこれを知っているのは、AIがこの問題を差し迫ったものにする前に、まさにその問いに基づいてルナを立ち上げたからだ。ファッション業界の標準的な仕組みは、見込み生産による在庫、値下げのサイクル、およびトレンドの追求である。これは、前の仕事の「言い訳」をするために次の仕事が存在するような業界だ。値下げとはまさに、6カ月前に下した意思決定に対する「謝罪」にほかならない。私たちは需要に合わせて生産することで、そもそも不要な仕事を創出することを拒否した。こうして、修正のための仕組みをそもそも存在させず、効率的なプロセスを維持している。
あらゆる知識ビジネスが今、同じ分岐点に立っている。機械に下書きやリサーチ、統合、管理業務を任せること自体は戦略ではない。真の戦略とは、そこから生まれた時間を使って、人間が「判断」「センス」「信頼」、および「結果に対する責任」にどう取り組むか、ということである。
率直な警告
これはすべての人にとって良いニュースというわけではない。そうであるかのように見せること自体、一種の「見せかけの価値」だ。AIは私たちを平等にはしない。真の才能と「パフォーマンス(仕事をしているふり)」とのギャップを隠せないものにし、判断ではなく「タスク」を中心に設計された役割を担う人々にとって、それは苦痛を伴うものとなる。彼らは非難されるべきではなく、率直な対話とリスキリングの機会を与えられるべきだ。パフォーマンス劇場を作り上げたのは組織であり、人々はその配役に割り当てられたにすぎないのだから。
それでも、私はこの居心地の悪さを歓迎する。周囲がパフォーマンスに明け暮れるなか、黙々と本物の仕事をこなしてきた人々が、ようやくスポットライトを浴びる時が来たのだから。
私はこれまでのキャリアの大半において、自分が最初の言葉を発する前から過小評価されるような部屋で過ごしてきた。私はその評価に反論しないことを学んだ。結果こそが答えだからだ。
AIも反論はしない。ただ、価値があるかないかを、隠しようのないものにするだけだ。
本物の仕事をしている人々は、恐れる必要など何もない。



