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2026.07.07 09:12

沈黙の代償:なぜ最も困難な対話こそがリーダーシップを決定づけるのか

stock.adobe.com

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ヨアヒム・オスールがナイロビの多忙な病院で産婦人科の若手医師として働いていたころ、女性たちは彼に、彼が用意していなかったものを求め始めた。

嘘をついてほしい、というのだ。

週に2〜3回、患者は「医師としての権威を使い、医学的理由で夫に『性交を避けるべきだ』と伝えてほしい」と頼んだ。彼が断ると、女性たちは動揺した。彼の拒否は結婚生活を危うくしかねない、と彼女たちは言った。

そこで彼は理由を尋ねるようになった。

答えは、しぶしぶ返ってきた。性欲の低下。痛み。口にできない不快感。最も近い相手と一度も話し合ったことのない性の問題。

「心配だったのは」とオスールはインタビューで語った。「夫婦でありながら、性についてパートナーと話し合わないことだった」

その気づきが、病棟から博士研究へ、ケニア司法長官室へ、米国議会での証言へ、そしてアムレフ国際大学の副学長へと至るキャリアの道筋を決定づけた。彼は性医学のコンサルタント臨床家であり性科学者でもあり、今も直接患者を診ている。

オスールが早くから見抜いていたのは、いくつかの問題は法律の欠如から始まるのではないということだ。言葉の欠如から始まる。

のちに研究者として、彼は同じ構図をあらゆる場所で見いだした。

「人々は二重生活を送っていた」と彼は言う。「私生活は、性的快楽、安全な性、避妊、中絶といったテーマについて公の場で大声で語る内容とはまったく違っていた」

公には中絶を非難する宗教指導者が、裏では女性を中絶に紹介していた例にも出会った。公では避妊を否定しながら、私的には避妊をしている女性にも会った。

「その偽善には動揺させられた」と彼は言う。

だが、より興味深いのは偽善ではない。インフラだ。

偽善は原因ではなく症状だった。原因は、社会全体が、日々その内部で起きていることを率直に語らないという合意を結んでいたことにあった。

それは医療問題であるだけでなく、市民社会の問題でもある。

社会が語ろうとしないこと

この教訓は、性の健康の範囲にとどまらない。

恥が公共の会話の境界線を決めることを許してきた領域のほとんどに当てはまる。メンタルヘルス。借金。悲嘆。介護。老い。男性の孤独。結婚を終えることの代償。外からは完璧に機能しているように見える人々の、私的な疲弊。

どれも、オスールが病院で見たのと同じパターンをたどる。人は自分だけがその問題を抱えていると思い込む。実際は違う。ただ、それに名前を与える許可がないだけだ。

そこでソフトパワーが物語に登場する。

ソフトパワーはしばしば「魅力」や「説得」と説明される。しかしその底には、より基本的な力がある。何が普通で、尊重に値し、口にしてよく、可能なのかを形作る力だ。

多くの社会で、性は「口にできない」。つまり、ジェンダー、結婚、暴力、生殖、男性性、恥、快楽、自律といった、その先に連なるほとんどすべてが、起きていない会話によって形作られている。

沈黙は、問題が存在しないことを意味しない。名指しされないまま、その問題が支配しているということだ。

圧力はどこへ向かうのか

沈黙にコストがないなら、これらは重要ではない。だが実際には、コストがある。

男性が性の脆弱性について正直に語れないとき、その圧力はどこへ向かうのか。オスールの答えは即座だった。

「自分を責め立てる」と彼は言う。「眠れなくなり、アルコール依存に陥り、固定の相手以外と危険な性交渉を試す。自信を失い、自尊心が崩れる。暴力的になる者もいれば、うつに入る者もいる。周囲の誰もが苦しむ」

そのリストをゆっくり読んでほしい。

出発点は性の脆弱性の描写だが、やがて家族、職場、コミュニティ、政治の描写へと変わる。

オスールの診療所の外でも、研究は同じ方向を示している。2019年に学術誌New Male Studiesに掲載された研究は、1,082人の男性のサンプルに基づき、伝統的な男性性の価値観を強く支持するほど性的羞恥が高く、さらに男性の性的羞恥は、うつに関連する症状の有意な予測因子であることを示した。とりわけ男性において、語られないうつは、語られないままに収まらないことが多い。引きこもり、攻撃性、支配として表面化する。

多くの組織が見落とすのは、このつながりだ。沈黙の代償は、沈黙を守る本人の内側に閉じ込められることはほとんどない。その代償は、パートナー、子ども、従業員、信徒、投票者が負う。

私的な部屋と公的な部屋は、廊下でつながっている。だが多くの組織は、その廊下が存在しないふりをする。

誰かがようやく語り始めたとき、何が変わるのか

オスールはその廊下で何十年も過ごしてきた。

彼のもとを訪れる患者は、何年も待ち続けてきたことが多い。

「2〜3年かけて来院を決断した患者にも会う」と彼は言う。「自分が苦しんでいることが漏れれば烙印を押されるのではないかと恐れている。私以外は誰も自分の話を聞いていない、と言う人も多く、性のパートナーにさえ話していないこともある。話した直後の最初の反応は、たいてい安堵だ」

安堵は小さなことではない。

真実を語っても世界は終わらない、という最初の証拠だからだ。

その後に続くのは、多くの場合、医療的治療というより生活への再参入に近い。

「治療がうまくいくと、こんな感謝のメッセージが届く。『あなたは私の人生を変えてくれた。今は結婚していて、両親や兄弟が初めて私を真剣に生きていると思ってくれている』とか、『結婚を救ってくれた。今は平穏で、妻も出ていくと脅さなくなった』、あるいは『子どもが生まれて、あなたの名前をつけた』とか」

オスールの語りでは、性の失敗は性にとどまらない。

「現実から逃れるためにアルコールや薬物に走る人がいる」と彼は言う。「暴力的になる人もいれば、うつに入る人もいる。学生は試験に落ち、経済活動をやめる人もいる。人生がもはや意味をなさなくなるからだ。こうした人々と話すことは、希望を取り戻すことにつながる」

それらは治療の体験談であるだけではない。

恥が、その人の物語を独占する力を失ったときに何が起きるのかを示す体験談でもある。

規範は実際にどう動くのか

オスールの仕事で最も重要なのは、それがどのようにスケールするかもしれない。

それはキャンペーンから始まらない。信頼から始まる。

「患者として関わった人たちが、支援者や旗振り役になる」と彼は言う。「宗教指導者、女性リーダー、政治リーダーが患者だったこともある。彼らはその後、性に関する問題について好意的に語り始める」

そうした元患者が、彼が他者に話すための入口をつくる。親族、友人、教会の会衆、女性グループ、専門職のリトリート、企業、教会。

「こうした多くは元患者が企画している」と彼は言う。「そして従来の法律や政策のプロセスより、規範を変える力がある」

これがソフトパワーの物語だ。

ひとつの私的な会話が、何年後かに説教になる。スタッフミーティングになる。女性向けリトリートになる。政治の会話になる。家族の会話のあり方そのものが変わる。

裁かれずに聞いてもらう感覚を体験した患者は、同じ「語ってよい」という許可を伝達する存在になる。

規範はこうして動く。常に力によってではない。常に法律によってでもない。しばしば、信頼できる人が、かつて危険だった会話を「生き延びられるもの」に変えることで動く。

政策が取り違えること

ここでオスールは、リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)をめぐるアドボカシーに内在するいくつかの前提にも異を唱える。

「多くの活動家は、法律や政策を変えれば規範も変わると考えている」と彼は言う。「そんなことはない」

法律は重要だ。政策も重要だ。法的保護は命を救い、それを守る緊急性は高まる一方だ。だが法律と政策だけで文化が動くことはめったにない。

「本当の変化をつくるには、個人やコミュニティに対してもっと多くの働きかけが必要だ」と彼は言う。「法律や政策が変わるときにコミュニティが置き去りにされると、彼らはそれに抵抗し、文化や行動は変わらない。本当の変化は、一定数のコミュニティ成員との共創だ」

ここには、リプロダクティブ・ライツの議論の中に隠れたリーダーシップの教訓がある。信頼は立法できない。

法的保護を整えることはできる。アクセスを広げることもできる。障壁を取り除くこともできる。いずれも重要だ。だが家庭、教会、学校、診療所、コミュニティで、その問題を正直に語れないままであれば、法律だけでは仕事を果たせない。

法律が先行することもある。法律が後追いすることもある。文化が十分に敵対的であれば、法律が沈黙を維持するための武器になることもある。

オスールは、ケニアに特有の力学を挙げた。思春期の若者が関わる法定強姦事件では、交際していた少女のほうが少年より年上である場合があるという。だがケニアの文化的前提では、性は男性が男性の快楽のために主導するものとされるため、少年は事情にかかわらず起訴される。親たちは、思春期の子どもがそもそも性行為をしていることを認めたくないため、その結末を支持する。

「悪い法律は、証拠ではなく文化によって支持される」と彼は言う。「話しにくい問題であるほど、法律がそれを『口にしないもの』にし、文化的に適切な沈黙として維持してしまうことがある」

この一文は注目に値する。

法律は常に沈黙の治療薬ではない。時に、それは執行装置になる。

誰もインフラと呼ばないインフラ

オスールの仕事が力強いのは、会話そのものをインフラとして扱う点にある。

柔らかな付加物としてではない。啓発としてでもない。メッセージングとしてでもない。インフラとしてだ。

「語れること」のインフラ。

苦しさを口にできない職場では、生産性は実態ではなく演技になる。対立を名指しできないチームでは、対立は離職に姿を変える。男性が脆弱性を認められない社会では、脆弱性は支配へと変換される。性について正直に語れないコミュニティでは、法律、宗教、噂、恥が代わりに語ることになる。

オスールはグローバルな経験によって、ローカルな勇気も形作られてきた。彼は別の場所でこうした会話がどう行われるかを見てきた。その視点が、沈黙を伝統として受け入れたり、スティグマを運命として受け入れたりせず、アフリカで変化を促す自信を与えた。

それは重要だ。ローカルな変化にはしばしば、グローバルな想像力が必要になる。ある場所で永遠のものとして扱われていることが、別の場所ではすでに再交渉されていると知る必要がある。

オスールにとって前進の道は、単によりよい情報ではない。人はしばしば、言ってよいと許されている以上のことを知っている。

より困難なのは、十分な部屋を横断して十分な信頼を築き、真実が公共の場に入っても語る人が壊されない状態をつくることだ。

それは性の健康への介入であるだけではない。

権力への介入でもある。

社会が語ろうとしないことは消えない。積み重なっていく。

それを理解するリーダーこそが、誰も築こうとしない会話を築いていく。

forbes.com 原文

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