組織はこれまでになく多くのデータを自由に使える。ダッシュボード、分析プラットフォーム、予測モデル、AIツール、そして業績のほぼあらゆる側面を測定する手法はますます高度化している。それでも多くのリーダーは不満を抱えたままだ。莫大な投資にもかかわらず、変革的な成果が現れないことが少なくない。データの衣装をまとったカルチャーの問題を抱えているのである。
この核心を突くのが、データサイエンティストでTEDスピーカー、OneLogicの元チーフ・データ・オフィサーであり、新刊『Data Inspired: Building an Organizational Culture of Inquiry for Lasting Transformation』の著者でもあるセバスチャン・ヴェルニッケ博士だ。最近のインタビューでヴェルニッケは、なぜデータ施策がこれほど一貫して期待外れに終わるのか、リーダーが分析について根本的に誤解している点は何か、そして過去を測るためだけでなく未来を発見するためにデータを使う組織をつくるには実際に何が必要なのかを、驚くほど明晰に語った。彼の診断は不穏であり、しかし最終的には状況を整理してくれる。ボトルネックは一度としてテクノロジーではなかったのだ。
危険な種類の成功
ヴェルニッケは、データの失敗をめぐる議論の前提を組み替える挑発から話を始める。彼によれば、すべての失敗が可視化されるわけではない。そして見えない失敗こそが最も危険である。
「プロジェクトが完全に炎上すれば、誰の目にも失敗だと分かるし、切り替えて次へ進める」と彼は言う。「危険なのは、書類上は静かに成功しているのに、最終的には会社の進路を何ひとつ変えないプロジェクトだ。データで私が目にするのはまさにそれである。企業は新しいツールに何百万ドルも使うが、結局データは現状を微調整する手段にしかならない。だからダッシュボードを求めれば、当然ダッシュボードは手に入る。だが時間が経つにつれ、それがやることは古いプロセスの最適化であり、より高い精度で既存の前提を補強することになる。変化が急加速する世界で、『同じままでいること』に極めて効率的になるだけでは勝利ではない。それはスローモーションのリスクだ」
ヴェルニッケによれば、多くのリーダーはいまだに、彼が言うところの「データドリブン」を追いかけている。しかし彼は、その目標でさえすでに時代遅れだと考える。「データドリブンとは、存在するものを測定し最適化するために、体系的にデータを使うことだ。必要ではあるが、純粋に漸進的である。そしてそれは、あっという間に最低限の期待値になりつつある。いまだにデータドリブンを追っているなら、かなり巻き返さなければならない」
下がっていく手
分析への投資が年々膨らんできたにもかかわらず、なぜ不満がこれほどしぶとく残るのか。そう問われたヴェルニッケは要点を突いた。「リーダーは、データに関して、文化の問題をソフトウェアで解こうとしがちである」
彼は、欧州のある銀行で行われた調査を紹介した。ほぼ全員が「自分はデータドリブンだ」と問われて手を挙げたが、より具体的な質問が始まると状況は変わった。「『過去1カ月で、データに基づいて意見を変えたか』と聞くと、突然手が下がり始める。次に3つ目の質問として、『データが上司と矛盾するとき、それを指摘するか』と聞くと、沈黙が返ってきた。人々は自分がデータドリブンだと思っている。しかし、考えを変えること、やり方を変えること、新しいことをすることとなると、手が下がる。つまり市場で最も先進的なAIを買えたとしても、日々の文化がなお階層、勘、社内政治、要するに同じでいることを中心に回っているなら、そうしたデータ投資は完全に空振りに終わる」
多くの組織の実態を示すために、ヴェルニッケはジョシュア・ベルの逸話を引いた。著名なクラシックのヴァイオリンの名手であるベルが、ワシントンD.C.の地下鉄駅でストリート演奏をしたところ、急ぐ群衆にほとんど無視されたという話だ。「彼はしばらくそこに立って、かなりの音を出していた。長年、企業はまさにそれと同じようにデータを扱ってきたと思う。事業の中を流れているのは値千金の洞察だったのに、基本的に無視され、技術的なノイズとして扱われていた」。しかし問題は、その後反転したという。「そうした時代は終わった。企業は名手が演奏していることを知っている。ジョシュア・ベルだと認識しているかもしれない。だがそれが別のフラストレーションにつながる。音楽は見えているのに、それをどう扱えばいいのか分からない。どう聴けばいいのか分からないのだ。だからデータが魔法のように自分たちを変えてくれると期待し、結局ほとんど前進しない」
お世辞のためのスプレッドシート
組織がデータドリブンのふりをしているにすぎないことを示す、最も確実な早期警戒サインは何か。ヴェルニッケによれば、それはデータが権威にぶつかったときに何が起きるかを見れば分かる。「データが現状や上司の意見に異議を唱えることが決して許されない環境、データがいつも都合よく『部屋の中で最も高給取りの人たち』に同意する環境なら、それはデータドリブンではない。要するに、スプレッドシートをお世辞に使っているだけだ」
彼は、こうした演目がより手の込んだ形になったものに名前を付けている。データシアターである。「信じられないほど複雑なダッシュボードがあり、インフラへの巨額投資があり、誰もが『把握できている』『状況が分かっている』という安心感を得る。書類上、会社は完全に最先端に見える。だが実際に意思決定がどう行われているか、とりわけ状況が厳しくなったときや、意見を撤回しなければならないときに目を向ければ、データは半ば無視されていると分かる。小道具はあるが、根底にある習慣や直感はまったく手つかずのままだ」
このパターンは、企業の年次報告書にも鮮明に現れる。すべての結果を「巧みな意思決定の産物」として描き出す、自信満々の回顧的な物語である。ヴェルニッケはすぐに見抜く。「それが赤信号だ。内側から見ると、『これが我々の文化だ』と思えてしまうのかもしれない」
探究のための設計
ヴェルニッケは、報告のための会議と探究のための会議を明確に区別する。「報告会議はたいてい自己防衛の訓練だが、探究会議は協働的な問題解決の訓練である」。彼はAmazonの実践として、ステアリング指標、すなわちチームが今日行動で変えられる入力と、サクセス指標、すなわち過去の意思決定がうまくいったかどうかを測る結果を切り分けている点を挙げた。この分離によって、人を弁護するのではなく、問題を問い直すことに集中できる。「探究会議では、エネルギーを『誰が悪いのか、何が間違っているのか』から、『この数字の体系は何を伝えようとしているのか』へと移せる」
ただし、オープンさを示すだけでは不十分だ。リーダーは、異議申し立てを単に許可するのではなく、異議を促す圧力を能動的につくらなければならない。「最初は、ほとんど強制するくらいに人々に挑戦的であることを求める必要がある。なぜなら大半の文化ではそれがデフォルトではないからだ。文化とは、廊下のポスターやPowerPointのスライドに書かれているものではない。人々が観察するものだ。だから本気でその文化を確立したいなら、会議だけではない。誰が昇進し、誰が採用され、誰が辞めさせられるのかも含まれる」
付け加えるなら、会議の場で最も鋭い質問をするのは、往々にして最も新しい人物である。好奇心がまだ条件づけられていないからだ。ヴェルニッケも同意する。「そう、それは生来の好奇心だ。そして残念ながら、多くの場合それは人から叩き出されてしまう」
マネジメントに感染する誤引用
対話のなかでも、とりわけ鋭い場面は、ほとんどすべての経営者が口にする警句、what gets measured gets managed(測定されるものは管理される)にヴェルニッケが触れたときだった。この言葉はピーター・ドラッカーのものと広く信じられている。だがヴェルニッケは、それは誤りであり、この誤った帰属が重要な点を覆い隠してきたと言う。真の出典は統計的工程管理の先駆者W・エドワーズ・デミングであり、デミングはこれを賛同ではなく警告として述べた。「デミングが実際に言ったのは、『測定されるものが管理されると考えるのは誤りだ』ということだ。そして彼はそれを確信していたからこそ、数字だけで管理することを、マネジメントの7つの致命的な罪のリストに入れた」。ヴェルニッケの結論は彼らしい率直さだ。「デミングのような人物がそう言うなら、我々に彼と異議を唱える資格があるのか」
ステアリング指標とサクセス指標を取り違えることの実務上の帰結は、彼によれば、経済学者がグッドハートの法則と呼ぶものだ。ある指標が目標になると、それは良い指標でなくなる。ゼネラル・エレクトリックは警鐘となるケーススタディである。「組織全体を、非常に具体的で安定した利益目標を達成する方向へと誘導した。サクセス指標は達成したが、その下にある中核事業の巨大で体系的な問題を覆い隠した。誰もが、何が何でも目標を達成するように動機づけられていた」
AIは救ってくれない
会話が人工知能に移ると、ヴェルニッケは、これから起きることについて率直に語った。AIが困難な文化的作業をショートカットしてくれると期待する組織は、彼の見立てでは、これまでのデータ技術の各波で経験してきたフラストレーションの「続編」に並んでいるだけだ。「準備ができていない会社に高度な技術を投入し、そのための文化も戦略も整えず、さらに、なぜその技術を投入するのかという目的も特定していないなら、たいていはフラストレーションに行き着く。だから私がデータのフラストレーションについて話すのと同じように、AIのフラストレーションについても近いうちに話すことになるだろう」
彼が示す順序は明快である。「文化が先、ツールが後。目的が先、ツールが後。戦略が先、ツールが後」
さらに彼は、AIが新たに決定的に重要にするリーダーシップの技能を特定した。意外にも、それを育てている組織は驚くほど少ないという。「AIモデルは驚くほど雄弁だ。だが、その根本的な作動原理はいまも統計的確率である。その下に理解はない。だからAIは、美しく権威的に聞こえる答えを生成できる一方で、それが陳腐だったり、的外れだったり、誤りだったりもする。人間の優位性は、得られる情報のうちどれがそのテストを通過するのか、どれが本当に関連しているのか、そしてどれが『それらしく聞こえるがシグナルを含まないノイズ』なのかを見分ける能力である」
対話の終盤、ヴェルニッケはおそらく最も状況を明確にする観察を述べた。ずっと人の問題だったということだ。分析、ビッグデータ、機械学習、そしていまAIへと続く、データ技術のあらゆる波は、同じ人間的な暗礁で座礁してきた。階層、習慣、そして公の場で間違うことへの静かな恐怖である。先行する組織は、より良いツールを待ってはいない。若手社員が会議室に入り、都合の悪いデータをテーブルに置き、それに対して感謝される。そうした文化をつくるという、遅く、難しい作業に取り組んでいる。
それはテクノロジーの問題ではない。最初からそうではなかった。



