こうした言いがかりに加え、行政府に対する大統領の統制を強化したいという公言された意向も相まって、トランプ政権は「政府効率化省(DOGE=ドージ)」という組織を設置した。物議を醸したこの組織は、2025年を通じて一連の連邦職員制度「改革」や人員削減を断行した。大方の見方では、これらの削減はぞっとするほど場当たり的に進められた。唐突で無作為な解雇(さらに不条理なことに、のちに再雇用される場合も多かった)、長期間の強制的な有給休暇、さらには米国際開発庁(USAID)のように政府機関全体が閉鎖されたケースもあった。完璧ではないものの十分に機能していた連邦官僚機構に対して、大規模で組織全体に及ぶ混乱がもたらされたのである。
それで終わりではない。DOGE自体はその後廃止されたが、省庁のトップに、その分野の専門的な経験よりも政権への個人的な忠誠心を重視して選ばれたように見える人物が指名される人事も相次いでいる。さまざまな報告から判断すると、こうした人事は連邦政府の業務遂行能力と職員の士気に深刻な悪影響を与えている。異論があることを承知で言えば、総合的に見て、これは米国自身による自傷行為だと筆者は呼びたい。
それでも、「いまでも若者に連邦政府で働くことを勧めるか」と尋ねられれば、筆者としてはなお「イエス」と答える。自らの国に奉仕し、公共のための重要な使命に携わり、私利私欲を超えた大義のために働くことには、無上の喜びがあるからである。ただし、こう付け加えたい。自分が連邦政府に入るとすれば、米国の政治家たちが連邦職員をふさわしい敬意をもって再び扱うという意思を明確に示したあと、そして、卓越し政治的に中立な業務遂行を求めつつ、職員の身分を強固に保障する公務員制度改革が実施されたあとに限るだろう、と。
したがって、筆者にとっての問いは、肥大化し、非効率で、「ディープステート」と呼ばれるような官僚機構が存在するかどうかではない(申し訳ないが、そのようなものは存在しない)。そうではなく、世界トップクラスの公務員制度を守ることに超党派で取り組む政治指導者と、それを支える法制度が存在するかどうかだ。
米国の行く末
米国の力を支えてきた残り7本の柱についても語るべきことは多い。とりわけ、国外での米国のソフトパワーが低下の一途をたどっていることや、米国の防衛産業基盤の行く末は重要な論点だが、これらについては別の機会に論じたい。
2026年7月4日、米国は建国250周年を祝う。筆者はいまも、米国はどんな試練も乗り越えられるだけの力と可能性を備えていると確信している。一方で、米国がこの100年にわたって苦労して築きあげてきた成果の多くを、不必要な形で自ら台無しにしてしまう危険があることも憂慮している。


