先日、日本ソムリエ協会のクローズドなセミナーに関する、あるSNSの投稿が瞬く間に拡散され、大きな波紋を呼んだ。
田崎真也氏が「日本の自然派ワインと謳っているワインの98%は飲めたものじゃない。アレがワインを初めて飲む人の口へ渡ったら一大事」と発言した、といった趣旨の内容だ。
日本を代表するトップソムリエからの厳しい指摘。私自身は現場に居合わせたわけではないため、発言の真意や言葉の切り取りに対する是非の議論は、ここでは一旦脇に置きたい。だが、SNSに投じられたこの一石が、ブームとなって久しい日本の「ナチュラルワイン」の現在地と未来について、私たちが改めて深く考える重要な契機となったことは確かだ。
(記事末に、「初めて書籍を執筆してみて 1 ━━居酒屋の赤ワインで挫折した「元苦手民」だった」掲載)
「自然派」というキャッチコピーがもたらした光と影
そもそも日本における「自然派ワイン」の潮流はどのように生まれたのか。黎明期からナチュラルワインを見つめてきた萩野浩之氏の証言が、その歴史的背景を浮き彫りにする。1990年代末、まだメールすら普及しておらずFAXでワインの案内を一斉送信していた時代。既存の工業化されたワインとは異なる、シンプルでナチュラルな感性を持った造り手のワインを紹介する際、飲食店や買い手の目に留まるキャッチコピーとして考案されたのが「自然派ワイン」という造語だった。
萩野氏によれば、それは製法を定義する言葉ではなく、「印象派」や「写実派」といった芸術の世界と同じように、あくまで「造り手という『人(感性)』にフォーカスした言葉」だったという。しかし、2010年代以降に市場で一般化するにつれ、言葉は一人歩きを始める。「野生酵母で発酵させ、亜硫酸が無添加であればナチュラル」といった表面的な手法ばかりが先行。ファッションとして自然派ワインを造る者も現れ、豆香(マメ香)や過度な揮発酸といった明らかな醸造上の欠陥(オフフレーバー)までもが「自然の個性」として都合よく許容されてしまう風潮も一部で生まれた。冒頭のトップソムリエによる厳しい指摘も、まさにこうした市場の混乱と品質のばらつきに向けられた警鐘と言えるだろう。



