しかし、この協定が官民摩擦の構造を緩和することにつながったわけではない。同協定に参加している主要AI企業は国防総省向けのサービス以外の分野でアンソロピックとの取引を継続することを明らかにしており、米国のAIエコシステムにおける同社の影響は依然として大きい。一部のテック企業やその社員は、政権と対峙する姿勢を支持すらしている。
それだけでなく、アンソロピックが新たに発表した“Mythos”が高度なサイバー脆弱性の発見能力を有することが明らかになると、国防総省もそれを利用せざるをえない状況に置かれていることも報じられている。財務省もMythosに強い関心をもち、G7財務相会合の議題にもなるなど、一企業の影響力がセクターや国境を越えて広がる事態が生じている。
軍事を含む公的な利用を想定した場合でも、先端技術の研究開発プロセスから民間企業を排除することはもはや不可能である。そもそもAIに限らず、多くの新興技術には依然として用途や社会的影響が明確にされていないものが含まれる。規制枠組みの構築も後追いになりがちであり、技術利用のあり方に関するすべての解があらかじめ用意されているわけでもない。それゆえに、技術のあり方をめぐる官民の摩擦はこれまで以上に大きな問題となりうるし、その調整の成否はイノベーションエコシステムの挙動にも影響する。
技術のあり方を決める根拠になるのは、国益や政治制度なのか、特定企業がもつ独自の技術なのか、それを取り巻く多くの市民や企業の支持なのか。多元的な価値を内包・許容する民主主義国家であればこそ、技術の使い方ひとつとっても大きな論争が巻き起こる。現代の大国間政治ではイノベーションの成否が国家の競争力に直結することになるがゆえに、こうした摩擦は先鋭化することになる。
(Forbes JAPAN6月25日発売号からの転載)
齊藤孝祐◎地経学研究所主任客員研究員。上智大学総合グローバル学部教授。専門は国際政治学、安全保障論。筑波大学大学院人文社会科学研究科国際政治経済学専攻修了、博士(国際政治経済学)。横浜国立大学研究推進機構特任准教授等を経て、現職。科学技術と安全保障に関する論文を多数発表。


