経済学101 : 先生はポピュリズムをどう定義されていますか? ポピュリズムは論者によって定義が様々であり、曖昧であると指摘されたりもしていますが、どのような定義を採用されていますか? 例えば、有力な論者にカス・ミュデやポール・ケニーがいますが、どの論が説得的なのでしょうか?
高宮:学界の主流はカス・ミュデの定義に基づいています。「腐敗したエリートから、純粋で正しい人民に政治を取り戻す運動」というのがその定義です。そして、イデオロギー的には右とも左とも結びつきます。上か下かでいったときに下を取るのがポピュリズムです。
ただミュデの定義だと、日本の状況にはうまく当てはまらない面があります。まず日本でポピュリストとされる政治家が攻撃対象としてきたのは、エリートとは限りません。近年のポピュリスト、例えば参政党やれいわ新選組、国民民主党、日本保守党は、財務省をはじめエリート批判をしていますが、小泉純一郎元首相や維新の橋下徹元代表は非エリートが主な批判対象です。小泉首相は郵便局や郵政族、橋下徹は公務員労組や教職員労組でした。もちろん橋下氏は、現場感覚がないと学者をよく批判しているので、両面あります。
なので、日本におけるポピュリズムの定義として私が使っているのは、腐敗した「エリート」ではなく、腐敗した「既得権益層」から政治を取り戻す運動というものです。
欧米で批判の対象となる都市部の高学歴エリートが、日本で批判対象にそこまでならないのはなぜかというと、そもそも戦後日本の繁栄を築いた自民党が農村重視で、どちらかというと非エリート的だったことが背景にあると考えています。
戦後間もない時期の自民党幹部は吉田学校をはじめ官僚上がりのエリートが多かったわけですが、田中角栄首相くらいから農村部の非官僚出身の政治家が力を持ちます。その傾向は今でも継続しており、最近は官僚や東大出身の首相をほぼ見ません。いま自民党で要職を占めるのはほぼ世襲議員ですが、彼らの学歴や職歴を見る限り、そんなにエリートではないわけです。


