今からちょうど100年前。フランスの軍人で写真を趣味にしていたマルセラン・フランドランは、偵察任務の合間に、そうとは知らず、ある伝説的な動物の最後の姿を写真に収めた。
モロッコのカサブランカを飛び立ち、セネガルの首都ダカールに向かっていた飛行機から、ほんの一瞬をとらえてシャッターを切った白黒写真には、野生のバーバリライオンが写っていた。その写真は後に、歴史的に有名なネコ科の大型動物、バーバリライオンの姿を確認できた最後の1枚として知られるようになった。
畏敬と畏怖の念を同時にかき立てるバーバリライオンは、北アフリカでは権力と威厳を体現する不朽の存在として言い伝えられていたが、急速に消滅しつつある野生の象徴でもあった。生物学者である筆者にとって、バーバリライオンの物語は、絶滅に関する戒めにとどまらず、人類の活動拡大がいかにして、最も畏怖すべき動物までをも消し去り得るかを思い知らせる教訓でもある。
バーバリライオンの物語が興味深い理由について、説明していこう。
特徴は、たてがみの色が黒っぽいこと
「アトラスライオン」という異名もあるバーバリライオンはもともと、北アフリカの山林や不毛の砂漠地帯に生息していた頂点捕食者だった。ライオンの一亜種として、独立分類が必要なほど遺伝的な違いを有するか否かについては、科学者の間でいまだに議論が続いている。研究者がバーバリライオンの形態的な特徴としたのは、たてがみが背中や腹部まで覆うほど厚く、その色が黒っぽいことだ。
ローマ帝国時代には、生け捕りにしたものが珍重された。モーリタニアの原野で捕獲された個体は、剣闘士競技が行われる競技場に運ばれ、奴隷や兵士を相手にした残虐な闘いに投じられた。
バーバリライオンは、モザイク画や彫刻、盾の飾りになり、後の世紀には王侯貴族の間で贈り物としてやりとりされたり、見世物にされたりした。その姿は国章にも採用され、モロッコや英国の王室紋章にもその姿を見ることができる。
しかし、時代が進むにつれ、野生のバーバリライオンは姿を消し始めた。
狩猟によって姿を消していったバーバリライオン
1800年代に入ると、オスマン帝国と、後には植民地をもつ欧州列強が北アフリカを支配下に置くようになった。都市化が進み、森林が伐採されていった結果、バーバリライオンの生息地は縮小した。
しかし、バーバリライオンを絶滅に追い込んだ原因は、生息地の喪失だけではない。バーバリライオンは、スポーツとしての狩猟の対象でもあった。植民地を治める官僚を中心とした欧州のハンターたちが、バーバリライオンを戦利品として狙うようになったのだ。彼らは、危険で贅沢な狩猟の証拠とされた。
アルジェリアを植民地支配していたフランス軍の公式記録によると、19世紀の間に何百頭ものバーバリライオンが獲物として射殺された。そして、彼らがかつて栄えていた生息地一帯は静まり返った。
20世紀初頭までには、野生のバーバリライオンはすっかり姿を消していた。しかし、今からちょうど100年前の1925年、野生のバーバリライオンをとらえた最後の1枚が撮影された。



