アサド政権の主要同盟国だったロシアの外務省は、アサドが「シリア大統領の職を辞任して国を去ることを決意し、政府に平和的な権力移譲を指示した」と発表した。出国後どこへ向かったのかは明らかにしなかったが、ロシア国営メディアはアサドと家族が8日にロシアの首都モスクワに到着したと伝えた。ロシア政府は亡命を受け入れる見通しという。
アサドは1週間前から公の場に姿を見せていなかった。
アサド政権の24年に及ぶ統治は、イスラム組織「シャーム解放機構(HTS)」を中心とする反体制派勢力が攻勢に出てからわずか1週間余りで、あっけなく崩壊した。北部の要衝アレッポを制圧した反体制派は、その勢いのままダマスカスを陥落させ、電撃戦をものにした。
米紙ニューヨーク・タイムズによると、HTSは今後について、シリアのモハメド・ジャラリ首相と協力していくと表明した。公的機関は当面の間、引き続き首相の管理下に置かれるとしている。
ロイター通信によれば、ジャラリは7日を最後にアサドとは話していないと述べており、新たな指導者と協力する用意があるとして、自由な選挙の実施を求めた。
反体制派連合は声明で「偉大なるシリア革命は、アサド政権の打倒をめざす闘争の段階から、国民がこれまで払った犠牲にふさわしいシリアを共に築くための闘争へと移行した」と宣言した。
アサド一族は、54年間にわたってシリアに圧政を強いてきた。独裁的な支配は故ハフェズ・アサド前大統領の下で30年間、その息子のバッシャール・アサドの下で24年間続いた。国内は2011年以来、血みどろの内戦と化し、ロシアの支援を受けたアサド政権軍による残忍な反攻が2016年に始まると、反体制派は掌握していた地域の大部分を奪還され、北西部のごく一部のみを勢力下に置くにとどまっていた。東部は米国が支援するクルド人勢力が支配下に置いている。