文化を「前へ放り出す」 ミラノデザインウィークの進化

期間中には市内の至る所にデザインがあふれ、業界関係者でなくてもイベント気分で楽しめる。(Getty Images)

期間中には市内の至る所にデザインがあふれ、業界関係者でなくてもイベント気分で楽しめる。(Getty Images)

ミラノの春の風物詩とも言えるデザインウィーク。家具の見本市に始まったイベントは、どのように発展してきたのか。60年を超える歴史にはエコシステム構築のヒントがある。


毎年4月、ミラノ郊外でミラノサローネ国際家具見本市が開催される。62回目の今年、出展数は1950、来場者数は37万人だった。同時期に、店や美術館など市内各所を会場にフオーリサローネが行われる。フオーリとは場外の意味で、こちらでも1000近いイベントが開催される。両者の総称が「ミラノデザインウィーク」だ。

世界に多数あるデザインイベントのなかでも規模と質の両面で群を抜いており、街全体を巻き込むという意味で、ファッションウィークよりも存在感を強く放っている。この時期、ミラノのホテルの値段は3倍、4倍に高騰する。

イタリアデザインの輸出、8年で5倍に

ミラノサローネのはじまりは1961年。その軌跡をたどると家具・雑貨産業とデザインの歴史の多くが見えてくる。第二次世界大戦によって疲弊したイタリアは、戦後まもなく高度経済成長期に突入。50年代、国内需要に応じるために産業はフル回転し、樹脂の採用など新しいテクノロジーも積極的に導入した。それまで家具産業をリードしていた北欧諸国にイタリアが追い着いたのは、企業やデザイナーの生存に向けた貪欲さによるもので、この時期にイタリアデザインの礎が築かれた。
 
国内需要が一巡して次に目指したのが輸出である。これこそがサローネの目的であり、8年後には輸出額が5倍に達し、成果の出るイベントとして認知された。70年代に入ると、本会場以外にも商談の機会を求めた企業が市内のショールームや店舗の利活用を始め、80年代にフオーリサローネが公式にスタート。デザインや建築のコンテンツ拡充を目指すメディアの思惑とも合致し、徐々に「ミラノデザインウィーク」として確立していった。

ジャンルも年齢もより幅広く

フオーリサローネの拡大期は90年代後半。市内から少し離れ、工場や倉庫跡として索漠としていたトルトーナ地区を中心にしようという流れが起こる。この地区にファッションの撮影スタジオを所有していた人物が前衛的な家具メーカーの発表をしたり、プロダクトデザインのメッカにしたいと考えるイベントプランナーが動き出したりした。

若手デザイナーも波に乗りたいと考えるが、場所を借りるにはコストがかかり過ぎる。かといって、郊外の人の来ないところでは意味がない。そうした若手の声に応えたのが、サローネ本会場で、企業展示とは別枠で設けられた「サローネサテリテ」だ。35歳以下のデザイナーのみが参加でき、会場には有力メーカーの経営者も足を運ぶため、ここで力を認められたデザイナーも多い。今年25周年だったが、これまで世界各地の1万4000人のデザイナー、270に及ぶデザイン学校が参加した。
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文=安西洋之 編集=鈴木奈央

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