少し意地悪だと思ったが、聞いておきたかった。なぜ、これほどの経歴をもちながら“市長”という仕事を選択したのか?
灘中学校から灘高校、東京大学へ。彼らからすれば当然の道、世間一般的にはエリート街道を歩む。さらに米国にわたり、名門ハーバード大学に入学し、在学中からNPOを7年間経営した後、統一地方選で芦屋市長選へと挑戦を決める。本人の出身は大阪府箕面市だが、一時帰国時にインターンをした兵庫県芦屋市との縁が決め手になり出馬を決めた。高級住宅街、芦屋市に華麗な経歴の若き市長が誕生したのは2023年4月23日夜のことだった。26歳の髙島崚輔は時の人となった。
周囲には起業家もいれば、外資系企業に飛び込む人々もいた。社会的な課題を解決するためならば、選挙に挑むよりも起業、あるいはビジネスを通じて……というのは時代のトレンドでもある。
「うーん、僕にはビジネスの適性がなかったということですね。それはほかの人のほうが向いているし、実際に起業している人も多い。収入もそんなに興味なかったですね。中央での官僚も現場から遠いと感じた。向いている人に任せておけばいい。僕がやりたかったのは、あくまで地方での行政だったんです」
そう彼はあっさりと言った。芦屋市長を足がかりに、次は兵庫県知事、国会議員か……。周囲が勘繰るような野心的なルートにもまったく関心を示さない。いまは、行政にしか関心がないというのだ。
ここに新時代のトレンドになりうる価値観がある。
地方自治に関心をもったのは高校1年生の時。就任時最年少市長(34歳)だった大阪・箕面市長、倉田哲郎を表敬訪問したことだ。市民の生活に密着した課題に取り組む姿を見た。関心をさらに深めたのは米国留学時代だ。ハーバード大には、実際にアメリカの自治体を率いる市長がやってきて、学生を前に講義をするというカリキュラムが用意されていた。
ある市長は市民を巻き込んでいく「公聴会」がいかに大切かを切々と説いた。市民が内側にもっている市への愛着を、うまく聞き出して行政に取り込んでいく。すべてをトップダウンで決めるのではなく、声を聞くことで街づくりが円滑に進むことを学んだ。市という顔が見えやすい自治体のトップが面白いのではないかと思えたのは、ハーバードでの経験もまた大きいという。
「税金というのは芦屋市なら約9万4000人が加入する解約しづらいサブスク(リプション、定額課金)みたいなものです。公的な資金を預かって、行政のトップとして実際に起きている課題と向き合いたい。芦屋市の人々は芦屋に愛着をもっている。アメリカで学んだ公聴会のような対話にも向いている市だと思っています」
髙島の政治手法は、2000年代から10年代にかけて流行したような強いリーダーシップ、そしてトップダウンの強硬な改革志向ではない。
「税収が減っていくなかで、行財政改革が必要な面もあります。ですが何から何までカットすればいいものではない。コロナ禍でも明らかになりましたが、市民病院のような市民の命にかかわる施設は予算がかかっても重要なものです。災害対策も同じように有事のもの。簡単に削ればいいものではない」