しかし、12月12日になって状況は一変した。米下院の金融サービス委員会にオンラインで参加するため、証言をまとめていたバンクマンフリードは、ニューヨークの弁護士から緊急の電話を受けた。FBIの話によると、バハマの警察が彼の逮捕に向っているという。
彼とそのとき一緒に部屋にいた両親(スタンフォード大学の法学教授のジョセフ・バンクマンとその妻のバーバラ・フリード)らは、状況を把握するためにバハマ政府の高官らに必死で電話をかけたが、彼らはみな「まったく分からない」と言うのみだった。
ほどなくして、家のドアがノックされ、警察が入ってきた。バンクマンフリードは、手錠をかけられて連行された。その2日前にバハマの司法当局に送られた、米国司法省の文書には、彼がバハマから逃亡する、もしくは証拠隠滅を図ることへの懸念が述べられていた。
逮捕の翌日に、バンクマンフリードは保釈を求めたが却下され、米国の検察当局は、彼を主に詐欺容疑で刑事訴追した。バハマ警察は、彼を現地の悪名高いフォックス・ヒル刑務所に送ったが、安全面の配慮から、一般の受刑者とは隔離して刑務所内の医療施設に留置することにした。
その施設で彼は2月10日の身柄引き渡し審問を待つことになった。
塀の中での暮らし
住宅価格の中央値が340万ドル(約4億4000万円)の、カリフォルニア州パロアルトの高級住宅地で育ったバンクマンフリードにとって、刑務所での暮らしは全く未知の世界だった。「映画の『ショーシャンクの空に』みたいなことになるのかと思った」と、彼は先日のフォーブスのビデオインタビューで話した。彼は、他の5人の受刑者と共に6メートル四方の部屋に入れられた。室内にはドア付きのトイレがあったが、バケツに水を入れて流すしかなかった。シャワールームはカビだらけで、ホースを使って冷たい水で体を洗った。寝床も「想像を絶する最悪のベッド」で、段ボールとプラスチックで出来ていた。枕がないので、出廷するときに着る紺の上着を丸めて枕の代わりにして眠った。
バンクマンフリードは、受刑者と友達になり、身の危険を感じたことは一度もなかったが、「金を貸してくれ」と言われたという。彼らの多くは麻薬関連で捕まっており、「マクドナルドで働くよりドラッグの取引のほうが3倍は儲かる」とのことだった。
9日間のバハマの刑務所の暮らしで最も辛かったのは、インターネットが使えないことだったという。「ネットへのアクセスが、これほど重要なことだとは夢にも思わなかった」と語る彼は、毎日面会に訪れる弁護士を通じて、自分の事件や保釈、FTXの破産についての情報を集めていた。
「私は1日遅れでインターネットに接続したつもりになっていた」とバンクマンフリードは言う。
ツイッターへのアクセスを遮断され、iPhoneや大好きなゲームを取り上げられ、“ネット世代の水責め“とも言うべき状態になった最初の1週間が終わるころ、バンクマンフリードは、頭がおかしくなりそうだと感じた。彼が最も恐れていたのは、保釈の取り決めなしに米国に身柄を引き渡され、麻薬王のエル・チャポや、刑務所内で自殺したジェフリー・エプスタインが収容されていたニューヨーク市の悪名高い刑務所、メトロポリタン矯正センターのような施設に強制的に移される可能性があることだった。