物語は2035年のアメリカ。社会の隅々で働く無数のロボットが、ある日、突然、人類に反乱を起こす。その反乱の首謀者は、これらのロボットを統合管理する最高度の人工知能ヴィキであった。すべてのロボットは「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過して、人間に危害を及ぼしてはならない」を第一原則とする「ロボット三原則」に従うように設計されているにもかかわらず、なぜ反乱を起こしたのか。その疑問を抱き、主人公の刑事スプーナーは捜査を開始する。
筆者は、この映画を観て、シリコンバレーで働く人工知能の専門家の友人の話を思い出した。
彼は、いつもこう語っていた。「シリコンバレーの連中は、いずれ、政府や行政の機能は、すべて人工知能が行うようになるべきと考えているよ」。
一見、極論にも思えるが、我が国の行政の現状を見ていると、ある種の説得力を感じる議論である。
コロナ対策の情報伝達がファクスで行われていたことに象徴される非効率的な行政。牢固として変わらない省庁の縦割り行政の弊害。国民の利益よりも省益を優先する行政の体質。政治家の利権に振り回される行政の歪み。政治家に忖度し、情報を隠蔽、改竄、破棄する、倫理規範を喪失した行政の文化。
こうした我が国の現状を見ていると、たしかに、政治や行政は、客観的で論理的な判断に基づき、限られた予算を国民の幸福を最大化するために最適配分できる人工知能に任せた方が良いのではと感じる人も多いだろう。
しかし、こう述べると、一方で、次のような異論の声も挙がるだろう。
「たしかに行政は、客観的、論理的に判断できる仕事も多いので、人工知能に任せることも考えられるが、しかし、国家の在り方や社会の進むべき方向を指し示す政治の仕事は、人工知能には、決して任せられないのではないか」
こうした意見は、実に真っ当な考えでもあるのだが、残念ながら、現実の世界は、その真っ当な状態ではないことも、厳然とした事実であろう。
例えば、アメリカのトランプという大統領の政治判断。それを見ていると、この真っ当な意見が、現実ではないことを感じざるを得ない。
年々、世界各地で拡大・多発する自然災害と、その背景にある地球温暖化の深刻化。その現実を考慮することなく、パリ協定から脱退するという政治判断。コロナ危機の本質を理解せず、マスク着用の不要を叫び、さらなる国際協力が求められているときにWHO脱退を強行する政治姿勢。国内向けのパフォーマンスのためだけに、意図的に国際的緊張を高め、戦争のリスクを軽視する政治感覚。