サイエンス

2024.04.04 14:15

「キリスト磔刑の現場」に新説 学会を仰天させたある考古学者の提言

石井節子
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最後の時間、死と埋葬

イエスの物語の他のどの部分と比べても、イエスのエルサレムでの生涯の最後の日々については、古今東西の文献に数多くのことが書かれている。福音書の記述によれば、イエスは大祭司カイアファ、ヘロデ・アンティパス、そしてローマ帝国の責任者ポンテオ・ピラトの前で裁かれ、ゴルゴダ(「されこうべの場所」)の十字架の上でローマ帝国の手によって十字架刑に処された。そして、アリマテアのヨセフの進行の下、近くの「新しい墓」に安置されたのだ。

伝統的に、旧市街の北西部に位置する聖墳墓教会は、福音書の記述によれば、イエスの遺体が安置された十字架刑とその近くにある仮の墓の場所として、おそらく最も広く受け入れられている場所である。

キリスト教団体、特にプロテスタント団体の中には、実際の墓は聖墳墓教会のかなり北に位置する「庭の墓」と呼ばれる場所にあると主張するものもある。この墓の外観を見ると、福音書に登場する象徴的な場所のイメージとして、多くのイラストレーターによって描かれてきたものが容易にわかる。しかし、考古学的調査の結果、特にイスラエルの著名な考古学者であるヘブライ大学のガブリエル・バーカイによる画期的な調査の結果、「庭の墓」に実際の墓があるとされていることには疑問が投げかけられている。
 
テイバーは、自身の研究に基づき、十字架刑と仮埋葬の場所についてさらに別の場所を示唆している。

「ヨセフスによれば、ローマ人は街の門の外で十字架刑を行っていた。古代、町の門は東の門、すなわち幕屋の門として知られていた 」という。
 
ということは、磔刑の場所は、伝統的に受け入れられてきた北西ではなく、神殿の東側にあったと考えられる。
 
テイバーは著書『イエスの王朝:一族の秘められた歴史』(伏見威蕃、黒川由美共訳、2006年、ソフトバンククリエイティブ刊)の中でさらに詳しく述べている。

「イエスが磔にされた場所としてより有力なのは、神殿を見下ろすオリーブ山の東側である。私たちの最も古い資料の一つは、イエスの磔刑を「門の外」と記している(ヘブル13章12-13節)。この「門の外」という専門的な表現は、神殿の聖域から東に少なくとも2000キュビト(約半マイル)の距離と解釈されていた」という。
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翻訳=伏見比那子 編集=石井節子

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