スポーツ

2024.04.21

大谷翔平選手にまつわる「たられば」の罪深さ

大谷翔平選手 / Getty Images

先日来、大谷翔平選手(ドジャース)の身辺に関して世間が揺れている。元通訳の水原一平容疑者が大谷選手の銀行口座から少なくとも1600万ドル(約24億5000万円)という莫大な金額を違法ブックメーカーに不正送金したとされる一件だ。

4月11日(現地時間)に行われた米国司法当局の会見では、大谷選手は完全な被害者であり、本件に一切関与していないことが発表された。

ただ、この発表があるまでは、SNSなどで「大谷選手も関与していているのではないか」「知らなかったはずはない」「勝手に人のお金を送金できるはずない」という憶測が飛び交っていた。そして、11日の会見を受けてもなお、「英語ができないから今回のことが起こった」「海外に来るんだからその国の言語ができないと!」といった批判コメントを目にする。

「彼は犯罪を起こしましたか?」

大谷選手が、英語がもっとでき「たら」…

確かに水原容疑者が大谷選手を利用しやすい状況が揃っていたことは確かである。そして、大谷選手にある程度の英語力があったらこのようなことは起こらなかったのかもしれない。筆者もこの意見の一部には同意する。自分の身を守る為の方法を一つでも多く持てたら、より良いことは確かだから。

しかし、是非とも考えて欲しい。「彼はそれで犯罪を起こしましたか?」と。ましてや、彼があなたに迷惑はかけていないはずだ。彼は完全なる被害者なのだ。「英語が喋れず、全部水原容疑者に任せていたことで、犯罪を起こさせる土壌をつくった」というのはおかしい。それは、次のような発言と同じではないか。「君がそんな服を着ているからレイプされたんだ」。

やってはいけないことは、何があってもやってはいけない。「私のお金を盗んで」と胸にプリントした服を着ている人がいたとしても、実際に盗んだら、盗んだ本人は犯罪者だ。「殺して」と口で言っている人がいる、でも実際に殺したら殺人犯なのだ(嘱託殺人罪や同意殺人罪)。人には超えてはならない一線がある。だから、もし目の前でそれが容易くできる状況が整っていても、手を出してはいけない。例えやることを考えたとしても、実際に行動に移すのと行動に移さないのとでは、天と地ほどの差がある。

言語はツールであり、一つの手法だ。それを使いこなせるのは一つの能力として評価される。大谷選手の場合は、野球といういわゆる一芸に秀でた人だからこそ、それに注力し成果を発揮することが何よりも求められている。自分の時間を可能な限りそこに費やすためにも、餅は餅屋ということで、言語は通訳のプロにリスペクトを持って依頼するのはおかしなことではない。

ただ、今回はそこにおける大きな問題が起きてしまった。多くの問題は、専門能力ではなく、人の人たる、特に心の弱い部分やその人が持つ闇が引き金になって部分で起こることを再認識させられた。

なお、「(大谷選手は)もっと大人にならなくてはいけない」といった指摘をした記者もいた。しかし、筆者は自らの能力の低い部分をもしっかり理解して、判断し実践できる方が大人だと思う。世間の声が否定的であった時でも、被害者ぶることなく、やるべきことをやり続けた大谷選手が大人ではないと言うのであれば、大人になどならなくていいとさえ思う。
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文=日野江都子

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