欧州

2024.04.17 11:00

ウクライナ軍で痛恨の「内紛」発生、要衝の部隊入れ替え 火力弱体化

右派セクターを率いていたドミトロ・ヤロシュは、1940〜50年代にソ連の支配に抵抗したウクライナの民族主義者ステパン・バンデラの影響を受けたと公言している。バンデラは、ロシアとウクライナ東部ではナチの協力者とも見なされている。

明確にしておけば、第67旅団には最近、右派セクターとつながりのない兵士も多く加わっている。その一方で過激派も、問題になる程度には多くいた。

1月下旬、第67旅団の衛生班1つと、第1強襲中隊(近接戦闘に特化した一種の精鋭歩兵部隊)配属の強襲部隊1つが旅団から離れ、第59独立機械化旅団に移った。

ウクライナの戦闘部隊をつぶさに追跡しているウェブサイト「Militaryland.net」は、2つのグループが旅団を離れたのは「第67機械化旅団の指揮官との個人的な問題」が原因との見方を示している

第67旅団の内紛は悪化の一途をたどっていた。運河地区とその周辺でロシア軍部隊と連日戦いを繰り広げている間も、多くの将兵が内部でもいさかいを続けていた。

今月に入り、第67旅団はロシア側に押され始め、運河地区のすぐ東の非常に重要な足場をロシア軍部隊に明け渡した。たしかに第67旅団も、ウクライナ軍のほかの旅団と同様に、米議会のロシアに融和的な共和党議員たちが昨年10月にウクライナへの追加支援を妨害し始めてから、弾薬不足に苦しんでいる。だが、最近の苦戦はそれだけが原因ではなかった。

国防省が調査したところ、第67旅団の将校たちは、右派セクターとつながりのない新たに加入した兵士を、十分な訓練や支援をせず戦闘に送り込んでいたことなども判明した。

ウクライナメディアの「ウクラインシカ・プラウダ」によると、将校たちは新参の兵士のことを、新たに支給された軍服のピクセル柄にちなんで「ピクセル」とあざけって呼んでいた。彼らは真っ先に戦闘に投入され、経験不足のため失地する結果になっていたという。

国防省はこの週末、にわかに第67旅団を前線から外すとともに、右派セクターと関係のある旅団幹部を入れ替え始めた。ウクライナ軍のオレクサンドル・シルスキー総司令官はこうした変更を擁護し、「道徳・精神面を含め、訓練の質を向上させる必要」を強調している
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翻訳・編集=江戸伸禎

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