スポーツ

2023.10.02 15:00

日本人初本塁打王 大谷翔平育てにマニュアルは不在、あったのはただ「父の選択」

石井節子

9月30日、オークランド・アスレチックスとの試合前にMVPのトロフィーを贈られる大谷翔平選手。米カリフォルニア州エンジェルスタジアムで。 (Photo by Ronald Martinez/Getty Images)

2023年の米大リーグ、大谷翔平選手は44本塁打を記録し、日本人初となる本塁打王となった。今年も二刀流として活躍し、今季レプリカユニフォームの売り上げランキングでも日本人初となる1位を獲得。実力も人気もトップクラスとなった。兎にも角にも、2023年はワールドベースボールクラシックでの活躍もあり、「大谷選手の1年」と言っても大袈裟ではないだろう。
 
また、大谷選手は、紳士的な言動から、その人間性についてフォーカスされることも少なくない。親や指導者であれば、誰もが「大谷選手のような子供を育てたい」と思うもの。大切な子供だからこそ、大谷選手のような「外的評価」「内的評価」のバランスがとれた人間に育つことを願うのだ。

学校生活は「起きている時間のたった30%」


大谷選手は大谷家の次男であり、末っ子として育ったことは知られている。父親の徹氏は岩手県出身の元社会人野球選手であり、野球の監督としても大谷選手の監督兼コーチとして携わった。

幼少期に育った神奈川県から自然あふれる岩手へ引っ越した大谷家。徹氏は自身の経験から「田舎で野球をさせる方が良い」と判断したそうで、小学生だった大谷選手は、岩手県奥州市と胆沢郡金ケ崎町の境界を流れる一級河川・胆沢川近くのグラウンドで野球に没頭した。父と子のあいだには「野球ノート」なるものが存在し、これを介して野球という競技を紐解いていったと言う。
 
ここで、親子の接する時間が決して短くないことがわかる。徹氏は三菱重工横浜グループ企業の社員としても二交代制(昼夜)で働きながら、土日だけでなく、平日もグラウンドに出ることもあったそうだ。大谷選手の原風景のなかに徹氏の姿が残っていることが、容易に想像できる。

(Yoshiyoshi Hirokawa, Getty Images:写真はイメージ)

(Yoshiyoshi Hirokawa, Getty Images:写真はイメージ)


小学生の人間形成において、多くの時間を学校がしめる(と思われている)。小学校の全学習活動の時間は、年間約800時間(45分授業で1日6コマ×175日)。

しかしながら、小学生が起きて活動している時間は、年間5840時間もある(起きている時間を16時間とし365日分)。つまり全学習活動は、生活時間の約13%程度であることがわかる。

大谷選手のように部活動に励む学生は、これに上乗せされる。土日を含めて毎日3時間の活動をするとして、年間約1000時間が野球に費やされる。これは生活時間における約17%を占める割合になる。つまり、小学校と部活動の時間を足すことで30%となるのだが、起きている時間の70%が、それ以外の時間であることを我々は認識しなければいけない。
 
「学校が、学力や礼儀、生活態度や人格も、人生を切り拓くすべてを教える場だと考えるのは大いなる誤解であると。公立・私立にかかわらず、息子、娘を入れておけば、工場のように理想的な日本人が産出されてくるとは決して思わない方がいい」
 
これは、上記の数字を割り出した教育改革実践者・藤原和博氏の言葉。話題の書籍『学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール』(藤原和博著、朝日新聞出版刊)のなかで指摘している。「学校に通わせていれば、先生や指導者らがあるべき姿に育ててくれる」、そのような考えでは、大谷選手のような子供は育たないのかもしれない。積極的に関わる時間を増やし、残りの70%をどうデザインしていくかが大事になる。
 
大谷選手のご両親は、子供がすることに対して頭ごなしに否定したり、怒ったりすることはなかった。一方で、「160kmを投げる」「メジャーに行く」といった目標を明確にし、多くの時間を並走してきたのだ。約束ごとで縛り付けることもなかったからか、大谷選手には目立った反抗期もなく、中学2年生まで父親とお風呂に入ったそうだ。
 

「大谷翔平選手の作り方」のレシピはない


もう一つ、興味深い視点がある。我々、人類の歴史を1日に凝縮すると、古来、アフリカのサバンナで狩猟採集生活をしていた時代が、非常に多くを占めていることがわかる。

書籍『デザインフルネス』(イサベル・シェーヴァル著、久山葉子訳、フィルムアート社刊)のなかでは、なんと1日のうち、深夜23時59分までがこの時代であって、現在のような都市生活などは最後の1分だけになると紹介されている。長い月日をかけて生き抜いた人間の脳には、サバンナで生きていくために、狩猟採集民の生活に合わせてプログラムされていると言える。
 
「人間が美しいとか魅力的だとか感じるものは、人間の進化や生物学、脳に根差していること。環境について言えば、見晴らしの良い広々とした(prospect)場所を好みます。それは、かつて人間の脳が発達したアフリカのサバンナを連想させるから。進化の見知から考えると、広々とした場所ならば肉食動物や敵を簡単に見つけることができます。またサバンナにはぽつりぽつりと木が生えていて、そこに身を寄せる(refuge)ことができ、植物や食料、水もあります。研究によれば、年齢、民族、出身に関係なく、人間はこのアフリカのサバンさせる景色を他のどんな景色よりも好むというから驚きです。サバンナには一度も行ったことがなくても、です」
 
脳がさまざまな環境にどう反応するのか、について調べるアンジャン・チャタジーの研究チームの成果について、同書で紹介されている。
 
岩手県の野球グラウンドがサバンナのよう、と言うのはいささか強引だが、徹氏の決断はポジティブな影響を与えている可能性も見えてきた。90%の時間を建物のなかで過ごす時代、私たちは、屋外で安心して過ごすことにも目を向ける必要があるのだ。
 
2つの書籍を通じて、脳の好みにしたがって「見晴らしの良い広々とした場所で過ごす」、また、学校以外で起きている時間で「親が、積極的に関わって学力をはじめ、礼儀、生活態度、人格など人生を切り拓くすべてを教える」ことの重要性が見えてきた。
 
おそらく出版社からのオファーはごまんとあるだろうが、大谷翔平選手の父はいわゆる「子育て本」を書いていない。これこそ、「大谷翔平選手の作り方」にレシピが存在しないことの証左ではないか。そして、決してないがしろにしてはならない非認知能力の伸ばし方は実にマニュアル化困難であり、「子供と接する時間を長くする」「自然にあふれた環境で過ごす」といった当たり前に尽きるのかもしれないのだ。

こう考えるとき、あらためて、大谷翔平選手と父徹氏との岩手での原風景が、筆者の脳裏に生き生きと浮かぶのである。


上沼祐樹◎編集者、メディアプロデューサー。KADOKAWAでの雑誌編集をはじめ、ミクシィでニュース編集、朝日新聞本社メディアラボで新規事業などに関わる。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科を修了(MBA)し、大学で編集学について教えることも。フットサル関西施設選手権でベスト5(2000年)、サッカー大阪府総合大会で茨木市選抜として優勝(2016年)。

文=上沼祐樹 編集=石井節子

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