キャリア・教育

2021.03.11 08:30

突然のパートナーの転勤。キャリアか家族か?ではない令和の働き方


竹崎:倉石さんはアマゾンで働きたいというゴールをたてて、そこから逆算してネットワーキングなどをされていたのでしょうか。もしくはキャリアのプランド・ハップンスタンス(予期せぬ出来事、偶発性も含めてキャリアを構築していくこと)みたいな感じで、日々やりたいことをやっていたら、ふとした時にご縁があったのか。その経緯をお聞きしても良いですか。

倉石:どちらかというと後者です。LinkedInにキャリアを載せていたら派遣会社からコンタクトがあり、アマゾンで日本語が必要なポジションがあると紹介されました。

竹崎:入社後のキャリアステップについても教えていただけますか。

倉石:最初は契約社員として入社しました。同じように入社した人が何人かいたのですが、徐々に減っていって、緊張感ある毎日でしたね。とにかく、与えられた仕事は120%で取り組もうと必死でした。

入社から6ヶ月くらいで正社員になり、最初はアソシエイトというポジションで働いていましたが、たまたま上司が別の部署に移ることになったので、代わりにその仕事を任されるようになり、アソシエイトアドバイザーというポジションになりました。これも計画していたというよりは、偶発的にやってきたチャンスに乗っかったという感じです。

辻:何事にも手を抜かず誠心誠意取り組むというのは、非常に心に響きました。30代後半になり、私の中でそういう気持ちが失われているような気がしているので。

竹崎:私も20代の貯金を使って、惰性で生きている気がするので胸が痛いです。

倉石:やっぱり手を抜くと分かるというか、見えると思うんですね。もちろん、ずっと100%の力で走ることはできないけれど、ここぞというポイントってあると思います。すぐではなくても、どこかで自分に返ってくるような気がするんです。

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写真手間:倉石彩乃氏

人事、職場とどう調整するか


竹崎:次に「職場との調整」について伺いたいと思います。まず辻さんに聞きたいのですが、留学帰国後からインドネシアに赴任されるまでに、職場とどう調整していったのでしょうか?

辻:2014年に留学を終えてから、私は環境省に戻り、妻はインドネシアの財務省に戻りました。互いに政府派遣の国費留学だったので、それぞれの国に一度戻る必要がありました。3年以内に同居しようと約束していたので、まずはそれぞれが組織に属しながら互いの国へ出向・赴任するチャンスを探しました。

竹崎:具体的にどのような選択肢を検討されましたか。

辻:私が環境省にとどまったままインドネシアに赴任する「プランA」は、調べてみると、いろいろな可能性があったんです。例えば、大使館や政府関係機関での勤務、ジャカルタにある様々な研究機関や国際機関への赴任もあり得ます。また、休職扱いで給料は出ませんが、ボランティア休暇を使うことで2年から3年は海外で活動できることも分かりました。それらを一つ一つ調べたり、場合によっては制度を人事に調べてもらったりして、実現可能性を探りました。

妻が日本に来る「プランB」は、早々に、妻が所属先の人事と一緒にオプションを検討することは難しそうだと判明しました。インドネシアは若年労働人口が多いため「買い手市場」で、財務省の職員数も多いために、人事に希望を申し入れることすらハードルが高いというありさまでした。

竹崎:最終的に現職のポジションを得た経緯についても教えてください。

辻:最終的には、JICAの環境政策アドバイザーとしてインドネシアに派遣されました。環境省は実は代々職員を派遣していたのですが、これまでは全員が技術系で、文系である私は対象外だったんです。また、前任者の入省年次は私より10ほど上だったため、ハードルが高いなかで実現した赴任でした。

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辻景太郎氏、インドネシア環境林業省 シティ大臣と

竹崎:職種や年次が合わないポストへの赴任を勝ち取るには、どういう形で調整を実現していったのでしょうか?

辻:人事が親身になって様々なオプションを一緒に検討してくれたことに加え、直属の上司にも恵まれました。上司に相談したところ、人事とのやり取りを含めて組織内での調整に協力してくれて、遠距離生活が始まって1年半くらいでインドネシア赴任の希望の光が見え始めました。

竹崎:人事や上司が協力してくれるというのは大きいですね。人事を味方につけるためのポイントはあるのでしょうか。

辻:人事には、今の妻と結婚しようと決めた時からずっと相談していました。特に留学から帰ってきて最初の1年半くらいは、月に1度のペースで面談をしてもらっていたと思います。そこまで人事に時間を使ってもらった人は私くらいだと思います(笑)。

環境省の場合、比較的新しい組織なので、話し合いの中で解決策を見出そうとする土壌はもともとありました。幸いにも当時の人事は本当に親身に、考え方や対応策を整理してくれました。組織としての意向もある中で、私の難しい要望とどうにか擦り合わせようとする強い意思を感じました。
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文=伊藤みさき 構成=竹崎孝二

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