50のプロダクトの失敗、挫折を経て──日本人起業家がシリコンバレーで見せた執念

Remotehourの山田俊輔




「すぐに資金調達できると思っていた」と山田。当然ながら、そう簡単にいくはずがない。軍資金は底をつき、帰国。実家へ戻り、両親にも叱られたという。

「帰国してからは、お世話になっている方々に『生きるために仕事をください』とお願いし、受託を始めました。スタートアップを続けるために、無我夢中でお金を稼いでいましたね。

安定し始めたのは、帰国して2年経ったころ。そのとき、たまたま内藤さんのブログを読んだんです。『今のままじゃダメなんだ』と、もう一度シリコンバレーに戻りたいと思いました。そして、3カ月後にESTAで渡米。そのときは新プロダクトも持ち込みましたが、ダメでした。でも、グリーンカードの抽選に当たる奇跡が起こりました!」(山田)

「自分がやるべき事業」の発想から生まれたRemotehour


2度目の失敗はない。その想いからか、山田はシリコンバレーに渡ってから次々とプロダクトをリリースしていく。その数、約50個。

「とにかくボールを投げまくるというか、バットを振りまくるというか。プロダクトを出し続けては、失敗していました。そのうち、コードを書くことにも慣れてきて、アイデアからリリースまでのスピードも上がっていきました」(山田)

そんな山田を気にかけていたのが、Ramen Hero代表の長谷川浩之だった。ある日、長谷川は山田をカフェへ呼び出し「なぜシリコンバレーでスタートアップをやっているのか?」と問いかけた。

「そのときは『僕がやりたいからやっているんです』としか答えられず、自分の薄っぺらさに気づきました。その日から『自分は何者なのか』を考えたり、週1で長谷川さんにメンタリングしてもらったり。そのなかで見つけたキーワードが“リモートワーク”でした」(山田)

このアイデアにたどり着いたのが2020年1月頃。山田自身が受託時代に複数のクライアントとやりとりするとき、「常時接続じゃないと難しい」と感じる場面に何度も出くわしたことが原体験にある。

「以前までの僕は、自分が欲しいものをつくっていたんです。でも、それだけでは不十分なんですよね。長谷川さんがよく言っていたのは『自分が創業者として一番ふさわしいと言われる事業をやるべき』。Remotehourは、受託時代にオンラインでのコミュニケーションに対する課題を強く感じていた僕だからこそ、つくるべきサービスでした」(山田)


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文=福岡夏樹

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