秘訣は「当たり前」の徹底にあり 長期的な経営改革が高収益を生んだ。 - 大塚商会社長 大塚裕司

2年連続で純利益最高を続け、高収益企業の代表格と称される大塚商会。
創業以来の営業スタイルで拡大路線を突っ走っていた大塚商会は、バブル後期、市場の成長とともに、収益率の低下に悩んでいた。
1992年に同社取締役に就任した2代目が抜本的経営改革に立ち上がった―。

――2014年12月期の数字を見ると、御社は売上高6,000億円超で営業利益370億円超という高収益で、しかも純利益最高を2期連続で記録。この数字は次期決算でも塗り替えられようとしています。1993年から続けている経営改革の成果が表れていると考えてよいのですか。

大塚裕司(以下、大塚):そうですね。93年にスタートさせた経営改革プロジェクト「大戦略」は、業務のムダを省き効率化を図ると同時に、財務体質を強化するという、ごく当たり前のことです。これを推進し続けた結果、09年比で生産性は25%アップし、一人当たり売上高は98年比で75.5%アップ、営業利益は15.3倍です。

そうした意味でも、私たちがやらなければならないことは、変わっていません。新年の取材などで、「今年は何をするのか」と聞かれますが、もうずっと「去年と一緒です」と答えています(笑)。

――このような経営改革を実行した背景にはどんな理由があったのでしょう。

大塚:61年に、父・実が創業した大塚商会は、複写機から始まって、電卓、オフコン、OA……と、扱っている商材やサービスこそ変わりましたが、私たちの根幹の考え方は変わりません。それは「お客様の業務・商品を止めない」です。そのために自社メンテナンスと自社サポートにこだわってきました。

全国に広がる営業所が、1つの独立企業並みの機動力を発揮し、「ミニ大塚商会」として機能していたのです。あらゆる権限を現場が持ち、商品の手配から代金の支払いまで、お客様のどんな要望にも対応する。そんな経営スタイルを築き上げ、成長していきました。

私が入社した81年の頃は、この経営スタイルでよかったのですが、バブル期を経て市場が成熟してくると、この仕組みでは無駄が目立つようになってきたのです。

実は当時の大塚商会の経営状況は急激に悪化し始めていました。90年の売り上げが約2,000億円弱で経常利益が70億円ちょっとだったのですが、92年には売上高2,002億円に対して経常利益は5億円しかない。調べてみると借入金が887億円あり、支払金利だけで56億円ありました。92年に取締役に就任していた私は、このままではまずいと真剣に思いました。

改めて会社の経営状態をみると、原因は、時代の変化に対応せず、過去の経験則そのままで経営をしていたからでした。当時は、300ある営業拠点のそれぞれが在庫を抱えていたため、片方では商品が余り、片方では足りないというようなことが当たり前でした。内部牽制機能も与信管理もない、在庫にも貸し倒れにも鈍感。まるで、大きなトゲが刺さっているのに気づかず、次第に弱っていく恐竜のようでした。

それで93年に社内から12人くらいの人材を集めて、業務終了後の5時から連日、会議室にこもってブレスト会議を行い、9時くらいからは居酒屋に移って、会社にとっての理想の姿はどういうもので、それにはどうすればいいのかを徹底的に議論したのです。そして出来上がったのが「大戦略」の原案でした。
次ページ > 創業者の父から受け継いだ営業基盤に革新的な仕組みを導入した。

文=鈴木裕也(フォーブス ジャパン)

この記事は 「Forbes JAPAN No.10 2015年5月号(2015/03/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事