パリと東京、服と性を問い直す。ファッションデザイナー末定亮佑の反骨 #東京の人

「SUÉSADA」デザイナーの末定亮佑。自宅兼アトリエにて(写真=小田駿一)

東京・世田谷区。東急東横線の駅を降りて10分ほど、高級車が門前に停められた戸建てが立ち並ぶ、静かな住宅地を歩く。

気鋭の日本人ファッションデザイナーの、2020年春夏コレクションの受注展示会があるというので足を運んでみたら、住宅街の一角にある築30年超のマンションの一室で驚いた。筆者が同時期にのぞいた他のブランドの展示会場は、南青山にある明るく奥行きのあるショールームだった。

小さなキッチン、布張りのソファがひとつと、2ドアの低い冷蔵庫、低いテーブル、いかにも男性の一人暮らしの部屋である。部屋の奥に3つのトルソーが並び、ラックに女性もののコレクションがずらりと掛けられていることを除けば。

自宅兼アトリエ、兼、展示会場。長い暖簾が掛けられた洗濯機の前のわずかなスペースが、試着室だ。

「産みの苦しみ」物語る部屋で聴く、秘めたる情熱

「女性性の新しい表現」「男性性とは」「ヤンキー感」……。壁に貼られた100枚ほどに及ぶデザイン画に混じって、付箋に殴り書きされた言葉の数々が目に飛び込んできた。机上には筆記具が散らばり、産みの苦しみを赤裸々に物語る。

欧州ブランドのような品のある上質なコレクション。にもかかわらず、その制作過程の生々しさをも見せてしまうのは潔さなのか、構わなさなのか、戦略なのか。

「飲みますか?」デザイナーはおもむろに冷蔵庫から缶ビールを差し出し、自らも静かに飲み始めた。

末定亮佑(すえさだ・りょうすけ)さん、32歳。長い黒髪をセンターで分け、後ろで縛っていた。線が細い。「僕自身もメンズの服が似合わないんですよね」

大学卒業後、単身渡仏し、Academie interntional de coup de paris(アカデミー・アンテルナショナル・ドゥ・クープ・ドゥ・パリ、以下AICP)を卒業。モデリストのフランス政府公認国家資格を取得した。

その後パリで、あのサンローランのクリエイティブディレクターを務めるアンソニー・ヴァカレロのもとで修業をしていたという。

末定さんが手がけるブランドは「SUÉSADA」。2017年に最初のコレクションを発表し、今回で6期目になる。新作はリネンなどの素材をたっぷり生かした、体の線に沿わない、余裕を持ったシルエットが多い。体と布との距離にこだわったのだという。
SUÉSADA
Photo : Shunichi Oda

ブランドの象徴とも言える、真鍮に銅のメッキをかけたメタルパーツを使った装飾に女性的な表現が宿る。金属のボタンが特徴的なシャツは着心地が良く、ユニセックスでファンが多い。

SUESADA 末定亮佑
Photo : Shunichi Oda

なぜ彼は服を創るのか、聴きたくなった。

兵庫県西宮市出身。甲子園球場の近くで生まれ育った。小学生の頃、阪神大震災が発生。自宅アパートが損傷したこともあり、一家は神戸に移ったが、後に西宮に戻った。

末定少年は自宅にずらりと並んでいた手塚治虫の漫画を読みながら育った。子供時代はクラスに1人はいる、いつも絵を描いている物静かな男の子だったという。いつしか、芸術の世界で生きていきたいと考えるようになった。

祖父は開業医、父も放射線科の医師。医師の家系に生まれ育ち、きょうだいで男は1人。当然、家族からは医師としての跡継ぎを期待されていた。末定さんの父は、一家同様、阪神間にルーツがあり医師免許を持っていた手塚治虫にシンパシーを感じていたのか、よくイラストや漫画を描いてくれた。そして、実は漫画家になりたかったのだと打ち明けてくれた。

「好きなことを仕事にできるのが一番幸せだと思う」とも言い、家族と違う道を選ぼうとする息子に父だけは反対せず、共感し、応援してくれていた。

高校時代、美大受験用の画塾に通い、京都精華大学デザイン学部ビジュアルデザイン学科に入った。
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文=林亜季、写真=小田駿一

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