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2018.07.05

マニー・パッキャオ、リングに上がり続ける真の理由

マニー・パッキャオ

ボクシング界の英雄、マニー・パッキャオの履歴にHANDA Watch Worldのアンバサダーという肩書が加わった。盟友となった同ブティックを展開するミスズ社長半田晴久氏とともに歩む道は、世界の貧困の根絶を目指すという壮大なチャレンジである。


貧困にあえいだ少年時代

世界中から愛されるこのフィリピン人ボクサーの英雄伝説は、枚挙にいとまがない。リングに上がれば、どう猛な肉食獣のような動きで狙った獲物を無慈悲に仕留めるが、リングを降りれば、その穏やかで優しい笑みはいつも貧しい人々に向けられる。かつてモハメド・アリがそうであったように、マニー・パッキャオもまた、人種を問わずどこの国でも大衆から圧倒的な人気を集める、カリスマ性にあふれたチャンピオンだった。

そのパッキャオが去る3月30日、関西の地に姿を現した。4月2日にグランドオープンする高級時計専門ブティック「HANDA Watch World・心斎橋・つかみどり時計店」のアンバサダーとして、記念式典に出席するためなのだが、もうひとつ目的があったようだ。同ブティックを運営するミスズ代表取締役半田晴久氏との対面は、パッキャオにとってそれ以上に大きなイベントだったのかもしれない。

半田氏は実業家として華々しいキャリアをもつが、その一方で恵まれない環境に置かれた人々のために、世界中で慈善活動を行っていることでも知られている。例えば、貧困によって教育が受けられない子どもたちを支援するために建設した学校は、中国で130を超える。半田氏の活動には世界中のエグゼクティブが共鳴し、同社が主催するイベントには、過去にも元ニュージーランド首相のジョン・キーや俳優のジャッキー・チェンなどそうそうたる顔ぶれが出席している。

極度の貧しさから過酷極まる少年期を過ごし、ボクシングと出会い、拳ひとつで道を切り開いてきたパッキャオにとって、半田氏との出会いは特別なものだったのだ。

「半田さんのような素晴らしい人物と親密になれた私は、ほんとうに神に祝福されているのだと思う。彼のブティックのアンバサダーになったことは、彼のことを深く知るきっかけになりました。貧しい人々に救いの手を差し伸べるために何ができるか、お互いが協力してチャレンジしていこうと意気投合したのです。今後、そのためのプランを一緒に考えることができるのは、とても光栄なことです」

半田氏もまた、アジアが生んだスーパースターに敬意を表する。

「パッキャオは自分だけでなく、フィリピンの威信と、貧しい人たちのために戦っています。彼自身、貧困家庭で育ち、幼少の頃は1人分の食料を兄弟6人で分け合い、飢えをしのいでいたと聞いています。11歳でボクシングを始め、14歳のときに親元を離れマニラで本格的にボクシングのトレーニングを始めました。自分が勝ち続けなければ、家族もまともな生活ができないという環境下で心身を成長させてきたのです。パッキャオの成功はいま、世界中で困難に直面している人々の心の支えになっているのです」

真のチャンピオン

ボクシングという競技の性質からだろうか。世界チャンピオンになったというだけでは、ほかのスポーツのように輝かしい名声は得られない。ボクシングファンは、誰と戦い、どのような内容で勝利したかを重視する。主要4団体のフライ級でいちばん強い王者は誰か、バンタム級に君臨する絶対王者に誰が土をつけるのか。ビッグマッチを制しその答えを出した者が、真の王者として認知される。

パッキャオは、フライ級からスーパーウェルター級まで6階級にわたってそのクラスの名だたるチャンピオンたち、例えばリッキー・ハットンやミゲール・コットといった大物を倒してきた。フライ級でキャリアをスタートさせたパッキャオは、その後、クラスを上げ、時にはひとつ階級をまたいで、6階級制覇という偉業を成し遂げる。増量してきた体重は20kgにも及ぶ。2kg違うだけで、対戦相手のパンチの強度が大きく変わるといわれる世界で、それぞれの階級に君臨するベストを圧倒してきたパッキャオ。その身体能力の高さを物語る伝説のひとつを半田氏が語る。

「ノンタイトル戦でしたが、2008年に行われたオスカー・デラホーヤとの一戦は、観ていて私も鳥肌が立ちました。身長と体重で大きく上回るデラホーヤに対してもパッキャオはスタイルを変えず、開始から臆することなく攻め立てたのです。遂には8ラウンドでデラホーヤをTKOで倒してしまった。常に高みを目指すパッキャオには、驚かされるばかりでした」

アジアの未来のために

常識破りの戦いを見せるパッキャオだが、そのファイトマネーも桁外れ。15年にラスベガスで開催された、同時代のもうひとりのレジェンド、フロイド・メイウェザー・ジュニアとの一戦は、今世紀最大のスポーツイベントといわれ、両者に支払われたファイトマネーは150億円を超えた。36分の戦いで、サッカー界の至宝リオネル・メッシやテニス界の伝説、ロジャー・フェデラーの1年分の収入をはるかに超える額を稼いだことになる。

だが、パッキャオはこうして自身の肉体を削り、傷を負いながら稼いだお金を貧しい境遇に置かれた世界の子どもたちに寄付している。

パッキャオが政治家として活動しているのも、母国、フィリピンの貧困を減らして治安を改善し、国の発展に寄与したいという思いがあるからだ。貧困にあえいだ幼少期、少年期を忘れないパッキャオだからこそ、できることなのかもしれない。

「いままでにいくつかのプロジェクトを立ち上げてきましたが、まだまだやらなければならないことはたくさんある。貧しい国では子どもたちの奨学金制度も必要ですし、食糧不足の問題もある。だからこそ半田さんとの出会いはうれしいのです。私は半田さんとの関係を強固にし、困難な状況にある人を救うための啓蒙活動もやっていきたい。私がアンバサダーとなった以上は社会貢献につながるかたちで、この時計を広めていきたいと考えています」

パッキャオのこうした思いは、半田氏にも伝わっている。すでに半田氏はいくつかの構想をもち、そのひとつとして、貧困地帯に「マニー・パッキャオ病院」を建設するプロジェクトを支援する予定だ。

パッキャオの次の戦いの舞台は、7月15日、マレーシア、クアラルンプールに決定した。WBA世界ウェルター級王者のルーカス・マティセに挑戦する。マティセは、パッキャオ同様、激しい打ち合いを好む選手でKO率も高い。難敵だが、パッキャオは「その日が来るのが待ち遠しい」と言う。

「アジアでこのようなビッグイベントが開催されるのは、意義深いと思う。エキサイティングな試合になるでしょう。次の試合は、アジアの人たちのために頑張りたい。日本の人たちにもぜひ観てほしいですね」

パッキャオのキャリアは、確実に終着駅へと向かっている。今後は一戦一戦、応援する側も神経をすり減らすような緊迫感あふれる攻防の連続となるだろう。半田氏がパッキャオの思いを代弁する。

「パッキャオは、アジアの平和を願い、アジアの人々の思いを背負ってリングに立つでしょう。だからこそ、その試合を目に焼き付けてほしいのです」



マニー・パッキャオ◎1978年、フィリピン生まれ。本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ。愛称はパックマン。フィリピン人として初めて世界ボクシング主要4団体6階級制覇を達成。16歳でプロデビュー。98年にタイのチャッチャイ・サーサクンを破り、WBC世界フライ級王座を獲得。その後6階級制覇を成し遂げた。ボクサーとしてのキャリアと並行し、フィリピンの下院議員選挙に2度当選し、現在は2022年までの任期で現職の上院議員を務めている。フィリピンプロバスケットボールリーグのバスケットボール選手兼ヘッドコーチでもある。

HANDA Watch World・心斎橋・つかみどり時計店
大阪府大阪市中央区東心斎橋1-12-10
☎06-6245-8685
10:30〜20:00(水曜休)

ミスズ
☎03-3247-5585
https://www.misuzu.com

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