「AIより人間が優れている」という自惚れは仇になる

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某テレビ番組で、AIによる株式トレーディングの限界についての議論を目にした。いわく、過去のデータに依拠しているAIは、前例のない、リーマンショックのようなケースへの対応は難しいのだと。

それを聞いていたマツコ・デラックス女史、「じゃあ、リーマンショックを無傷で乗り切った、人間のトレーダーがどれ程いたのよ?」

現在、AIと人間を比べる議論が盛んだが、その中には、一見、我々人間を安堵させるようなものも多い。定型的な仕事は代替されるかもしれないが、創造的な仕事は代替されにくい、人間にはAIにはない読解力がある、等々である。これらの議論はそれ自体は妥当だろうけれども、これらが人間の側の「自惚れ」につながってしまってもいけないと思う。

例えば、「創造力」である。

偉大な音楽家や画家の作品も、全てが新しいわけではない。むしろ、これらの人々が若い頃から必死に学んだ先人たちの影響が、無意識のうちに色濃く反映されていることがほとんどである。優れた芸術作品の妙味は、先人たちの業績を消化し、それらの新たな「組み合わせ」を見出した点にあることが多い。過去に全く存在しなかったモノを作り出せたのは、ごく一部の天才に限られるように思われる。

このことは、生物としての人間の特性上、仕方のないことでもある。遺伝子の多様性は、カンブリア大爆発の際にそのほとんどが作り出されている。

その後のさまざまな環境変化への対応は、「全く新しい遺伝子を作り出す」のではなく、「使われずに眠っていた遺伝子を引っ張り出す」ことで行われることが多い(人間が3色を見分けられるのは、人間がイヌより優れているからではない。綺麗な花に集まる昆虫は3色、時に4色を見分けられる。人間はこの能力を復活させ、イヌはその代わりに嗅覚や聴覚を発達させた訳である)。

新しい環境への対応が難しいのは、AIも人間も同じなのである。

危険なのは、「新たな時代への対応はAIやデータには頼れないのだ」と言って、むしろ、これらを過度に軽視する風潮が生まれてしまうことだ。過去のデータや歴史の教訓は、未来に対処する上で、万能ではないが、有益ではあるのである。少なくとも、自惚れた人間の思い込みよりは遥かに。

人間の「読解力」もガバナンスを欠くと

同様に、「読解力」についても、人間に読解力があることと、人間の方が優れているかどうかは、また別の問題である。

人間社会の揉め事の多くは、「言った言わない」の問題なのである。あなたがそういう意図だと思ったから私はこうしました、いや、俺はそんなこと言ったつもりはない、そういうお話である。
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文=山岡浩巳

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