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2017.08.05 12:30

GINZA SIXのキーパーソンが描く「豊かな消費」の未来図

写真 = 網中健太、吉野洋三

4月20日、銀座に生まれた2500人もの行列。その先にそびえ立つ、ステンレスのひさしが輝く建物が「GINZA SIX」だ。松坂屋銀座店の跡地を含む2街区に誕生した、銀座最大の複合商業施設である。

そもそも銀座は、東京の中でも特別な街である。江戸時代に銀貨の鋳造所があったことから“銀座”と呼ばれるようになり約400年。日本で最も地価が高く、2017年は1m2あたり5050万円(銀座4丁目)と過去最高を記録した。オリンピックのパレードも行われるなど、まさしく日本の中心地だ。

開発区域内にあった松坂屋銀座店は1924年(大正13年)、銀座に初めて開業した百貨店だった。松坂屋は他社に先駆けて女性社員の制服を定めたり、土足入場に踏み切るなど、革新的なデパートだった。上野店では日本初のエレベーターガールも登場した。

GINZA SIXは、地上13階、地下6階で延床面積は148700m2に及び、銀座エリア最大規模の4万7000平方メートルの商業面積、241店舗を誇る。大規模オフィスや文化・交流施設「観世能楽堂」、観光バス乗降所なども備える大型複合施設だ。

基本設計は建築家の谷口吉生氏。「ニューヨーク近代美術館」などを手掛けた日本を代表する建築家でありながら、メディアにはほとんど露出しない「作品主義」で知られる。銀座のあらゆる路地から見てもGINZA SIXだとわかるように、オフィスが入る上層階ごとに「ひさし」をぐるりと巡らすことで、水平的な統一性を表した。GINZA SIXは、松坂屋の革新性を引き継いだ、新たなる銀座の顔と言うべき施設なのだ。

当プロジェクトを進めたのは、J.フロントリテイリング、森ビル、L キャタルトン リアルエステート(LVMHグループの不動産投資・開発会社)、住友商事の4社。その中から、J.フロントリテイリング取締役会議長の小林泰行氏、森ビル執行役員の栗原弘一氏、LVMHジャパンシニアヴァイスプレジデントの山海卓氏ら3名のキーマンを集め、GINZA SIX誕生の経緯からコンセプト、建物を作り上げていく過程まですべてを語ってもらった。


J.フロントリテイリング取締役会議長の小林泰行氏

小林
:GINZA SIXのプロジェクトがスタートしたのは2001年です。16年も昔の話なので、非常に長い時間をかけた事業と言えるでしょう。当時、松坂屋銀座店がまだあったのですが、建物の老朽化が進み、建て替えについて森ビルに相談したのがすべての始まりです。このときは当社も大丸と経営統合したJ.フロントリテイリングではなく、松坂屋単体での事業でした。

栗原:松坂屋は当初、銀座店の建て替えを想定されていたのですが、我々は周辺の土地を巻き込んだもっと大きな街区を新たに形成して再開発することで、松坂屋の価値をより高めるご提案をしました。非常に大きな事業になるので、我々2社以外にも、より多様な知見やノウハウ、資金面も含めたパートナーを加えたほうがよいのではないかということで、LVMHと住友商事にも参加していただきました。

山海:我々は70以上のメゾンが集まったラグジュアリーブランドのグローバルコングロマリットですが、現会長兼CEOのベルナール・アルノーは、元々不動産開発会社を経営していました。それもあって、グループのビジョンの中で、複合不動産開発は大変大きな要素の一つです。

2009年ごろに森ビルから当社にお話があり、2010年に銀座六丁目地区の市街地再開発準備組合というものができ、ここで初めてJ.フロントリテイリング、森ビル、L キャタルトン、住友商事が一堂に会して、4社共同で新しい複合商業施設を作り上げていく枠組みができました。我々としても、国際的な見地やラグジュアリービジネスの視点をこのプロジェクトに持ち込む形で貢献できるのではないかという思いがありました。
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文 = 衣谷 康

この記事は 「Forbes JAPAN No.37 2017年8月号(2017/06/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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