農家の「しゃあない」をどうにかするために/クボタ 木股社長

クボタ代表取締役社長 木股昌俊 (photograph by Hironobu Sato)


筑波工場に勤務していた当時、新しく入社した従業員の家庭訪問を行っていた。木股が納屋を覗くと他社のトラクタが置いてある。従業員の親が「次はオレンジにしますから」と申し訳なさそうに話した、と振り返る。

「あのころの農家は自分が手がける作物に強いこだわりを持っていました。それだけ農機メーカーに対する要求も厳しかったんです」

ひと口にトラクタといっても単に田んぼを耕せばいいわけではない。土地によって土の性質や水の成分が違うし、農家によって苗も異なる。農家それぞれの条件に合う農機具を提供しなければならないのである。

「農機具をつくる私たちが農家になれるくらいに農業を知る必要があるんです。いまも農家の定点観測を行うために茨城に帰っています。文句いわれへんかな、何に喜んでいただいているのかな、と」

茨城に帰る─。さらりと口にした言葉に、現場に足を運び続けた歳月の長さを感じさせる。

春の田植え。苗を育てる苗床と田んぼを何度も往復する。軽トラから苗を降ろして、田植機に載せるだけでも大変な作業である。

「孫のため、子どものため、と楽しそうに田植えしていた夫婦が年をとって、しんどそうに働いているんです。でも、みんな『しゃあない』と思っている。我々は、そこでちょっと待てよ、と疑問を持ってお客様の望みや満足を超えるサービスを提供しなければならないんです。感動はそこから生まれるわけですから」

木股が語る感動とは、顧客の予想を超える技術開発やサービス提供である。そこに息づくのは創業精神だ。明治時代に創業したクボタは、コレラなどの伝染病を防ぐための水道用鋳鉄管の開発を機に発展した。当時、輸入に頼っていた鉄管の国産化は至難の業だったという。

100年前の伝染病撲滅。そして農業の無人化。「世の中の課題解決に結びつく製品を」という思いと、足を運び続ける現場が、予想を超える感動を育むのではないか。

「売れるからといって携帯ゲームをつくったら創業者に怒られるでしょうね。『こら、お前ら!』って」

木股は、再び笑った。


きまた・まさとし◎1951年、岐阜県出身。北海道大学工学部を卒業後、77年、久保田鉄工(のちのクボタ)に入社。筑波工場長、タイ子会社サイアムクボタコーポレーション社長、クボタ副社長などを経て、2014年より現職。前社長が進めたグローバル展開の拡大を引き継ぐ。

山川 徹 = 文

この記事は 「Forbes JAPAN No.31 2017年2月号(2016/12/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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