なぜ2社だけ氷河期を生き残れたのか?/WAP牧野 x freee佐々木

ワークスアプリケーションズ・牧野正幸代表取締役CEO(左)とfreee・佐々木大輔代表取締役(右)


——ワークスアプリケーションズやfreeeのような会社が出にくい理由は、他にもありますか?

牧野:弊社がB to Bのソフトウェアの提供に成功して2001年にJASDAQに上場したのを見て、パッケージソフトウェアの会社が急激に増えた時期があったんです。そのときにはベンチャーキャピタルから資金を集めるのも簡単だったようですが、それらの企業はことごとく潰れてしまった。

その結果、新規でB to Bのプロダクトをつくろうとするベンチャー企業に対して「やっぱり信用できないな」と、より一層ネガティブなイメージが強まってしまったのがここ10年くらいの業界の流れです。

——こうした状況のなかで、佐々木さんはどのようにして資金集めをされたのですか。

佐々木:牧野さんがおっしゃるように、非常に厳しい状況でした。日本でお金をつくるのは難しいことがわかっていたので、海外のベンチャーキャピタルにあたったんです。

例えば日本では、我々の会計ソフトが売れるかどうか、設立前はなかなか信じてもらえませんでした。しかし、海外のベンチャーキャピタルに話をすると「日本ではまだ会計がクラウド化されていないの? それならば、すぐにクラウド化するべきだ」と、協力してくれたんです。始まりは小さな額でしたが、私たちの前は一切投資されていなかったことを考えると、出資してもらえるだけでも恵まれていました。

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牧野:freeeは、経営陣のキャリアも組織もしっかりしていた。創業当初からビジネスモデルもしっかりしていましたね。

——今ではfreeeの会計ソフトを導入している事業所数は60万を超え、業界シェアNo.1です。海外でも注目されていますね。

佐々木:ソフトウェアのことがなにもわからない人でも使えるようにしよう、という考えから始まったのが、弊社の会計ソフトでした。ユーザーからは「ソフトを導入して、面倒だった会計がむしろ楽しくなった」という感想ももらっています。海外の製品は技術面では発達していますが、会計は面倒、という常識を覆そうというところまでは考えていない。そこが、うちのソフトが注目してもらえた理由だと思っています。


牧野正幸◎新卒で大手建設会社に入社後、システム開発会社を経て、1994年に情報システム構築のITコンサルタントとして独立。同年、IBMに出向。1996年、ワークスアプリケーションズを設立。2001年、JASDAQ市場に上場を果たしCEOに就任。世界中の学生が応募するインターンシップを実施するなど、独自の人事施策を展開。日本における「働きがいのある会社」ランキング(1000人以上部門)で1位に選出。10年連続ランクイン。(2017年時点)

佐々木大輔◎一橋大学商学部卒。データサイエンス専攻。卒業後、博報堂のマーケティングプランナー、未公開株式投資ファーム CLSA キャピタルパートナーズでの投資アナリストを経て、ALBERTの執行役員に就任。2008年にGoogleに参画。日本やアジア・パシフィック地域のマーケティングを担当。その後、freeeを創業。2017年、日本における「働きがいのある会社」ランキング(100-999人部門)で3位に選出。

インタビュー=谷本有香 構成=吉田彩乃 写真=藤井さおり

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